9年間不登校・引きこもりだった教え子を慶應に入れ、国語偏差値40の子3ヶ月で早稲田に入れた方法
- これ書いている私がどういう人生を歩んで来たかですが、私は高校には三ヶ月ぐらいしかまともに通いませんでした。というのも、情けない話ですが、間違って優秀といわれる高校に入って、ほとほと勉強について行けなくなったからです。
元々私は、負けず嫌いな性分で、ただ実力はあまり伴っておらず、中学三年生のときは、やたら負けず嫌いなのに、普通の公立学校でも平均以下の成績という残念な感じでした。ただ、このままで人生終わりたくないなというそれだけの思いだけで、県内で一番の高校を目指すことにしました。
この話の一つの教訓ですが、もしこのままじゃ終わりたくない。このままじゃ自分の人生よくないな、と思っている人がいたとしたら、勝負を掛けるのは中学受験でも高校受験でもなく大学受験であるべきだということです。間違ったところで勝負を掛けると結構後々詰みます。
あと、学校を選ぶ時に、これは中学でも高校でも大学でもそうですが、とても大事なことは自分の学力ではなく、自分の性格を把握することです。たとえば、自分はみんなが勉強しているときに勉強するタイプか、それてもみんなが勉強していないときに勉強するタイプか。
気が強くって、びりケツで入っても、がっつりトップに行くか、それとも下位層なら下位層で甘んじてそのままへたれてしまうタイプか。そういう性格分析を、自分の願望抜きに、客観的にやれるかどうかで幸せになれるかどうかが変わります。
これは受験でも仕事でもそうですが、ある時期一気に集中して常人以上の仕事をばりばりこなして一気に上にいってしまった方が、だらだらと下位層に甘んじながらだらだらとできる限りの努力をするよりも楽だったりします。なので、今回一気に成績を上げて、楽に大学に合格できる方法について書きます
結論からいうと、私は公立の中学校で平均以下の成績から、県内で一番の高校に入りました。これは、戦略的に受験勉強をすることが出来たからです。戦略とは闘いを略すと書きます。つまり、闘わない場所を決めることが戦略、闘いでは、闘わない場所を決めることが一番大切なのです。
私は、闘う場所を決めることにしました。受験生にありがちなことですが、私もこれといった得意教科はありませんでした。ですから、努力に比例して得点が取れる教科と、そうでない(ように思えた)教科を分けることにしました。
当時の宮城県の入試では、国語の出題はわけがわからず、数学は半分を占める基礎問題以外はやたらむずかしく、英語は難しいことは難しいですが頑張れば取れそうで、社会・理科はすごく取りやすかった。そして、400/500点行くかいかないかぐらいで県内トップ100には入れた。
私が目指していた仙台第二高校は、ざっと320人は入れますから、内申・推薦を考えても、TOP100に潜り込めれば、どうにか入れるだろうという見立てを立てました。そこで、数学と国語は60点/100点、英語・理科・社会は90点/100点を取ろうと決めました。
そうすると、270+120で390点は取れます。さらに10点ほど上乗せすればTOP100に入れますし、そこまでしなくても合格するでしょう。確かに仙台二高は県内で偏差値が68か69ぐらいの難関でしたが、他にも難関高校はあるのでばらけるはずだから、TOP100に入れば合格は固い。
こういう風に闘わない部分を決めました。そうと決めたら、次は点数を取って行く作業です。まず一番最初にやったのは、過去問を解くこと。といっても、普通の公立高校で平均以下の成績なんですから、過去問なんて解ける訳がありません。
そこでとりあえずどのあたりが出て来るか傾向を分析し、試験と同じぐらいの難易度、特に試験の中でも簡単な出題のものと同じぐらいの難易度の参考書を買い込んで、一問も不正解が出ないように7周ぐらいやり込みました。参考書1周を1日とか2日で、すごい集中力で終わらせてました。
そんな感じで、中学三年生の10月ぐらいから真面目に勉強しはじめて、12月には確実に合格できるなという手応えを感じ始めました。3月に試験があり当たり前のように合格しました。周りの人はびっくりしていましたが、私からすればそれは想定内のことでした。こういうことはこの後もあります。
ただ、こういう戦略「闘わない場所を決める」というやり方で高校に合格したので、闘うべき場所でもそうでない場所でも真面目に努力してきた他の友達とは、入学後一気に差を付けられてしまうようになりました。特に、数学で大きな差を付けられ、テストを受ける度に100位ずつ下がりました。
入学した時は、狙った通り100番ぐらいで入ったのですが、次は200番、ここで踏みとどまれば良かったのですが、そこまで強くなくて次は280番、そして最後は313番。320人中です。頭痛がしました。
私は、中学の時、勉強ができなかったときは部活をしていました。長距離陸上です。女の子にモテた試しは生まれてこのかたあまりないですが、なにはともあれ、部活ができるから、勉強ができるから、恋愛ができるから、自分には価値があり、存在意義があるのだと思っていました。
高校に入って、相変わらず足は早かったのですが、ケガをして部活ができなくなって(というより先生から止められて)、勉強もできなくなって、もちろんそんな情けない有様ですから恋愛もできない。(してたけど、こういう仕事とか勉強がうまくいかないときの恋愛は本当に虚しくて悲しくて寂しい。)
つまり自分には何の価値もないのです。何の価値もない。部活も勉強も恋愛もできない。これは驚くべきことでした。なんてことだろう。どうしたことだろうと思いました。本当に何も出来ないんです。生きている価値がないなってつくづく思いました。困りました。死にたくなりました。
そんな時、一つの価値観に出会いました。その人は、カントの価値論だと言っていたけれど、本当にそんなものがあるのかはよくわかりません。もしかしたら高校生だった自分に権威付けして伝わるように少し工夫しただけなのかもしれません。とにかくそれはこういう考え方でした。
たとえば、いま冷静に考えてなんの価値もない人間がいたとして、はて将来その人に価値がないかどうかは分からない。いま価値がないように思える人間であっても、将来なにかの価値を生み出す存在の、その割引現在価値として生きているのかもしれない。
ならば、自分はその将来の自分が果たすかもしれない価値創造を信じて、そのための準備期間として今を生きよう。どんな不条理なことがあったとしても、かならずそれを乗り越えて、自分みたいな不遇な目に会う人を少なくするために、将来何か大きな価値創造をやらかすんだ。
そういうふうに考えて、苦しい高校時代をやり過ごすことにしました。このときの経験から、私は競争というのは決して人を幸せにしないと考えています。他人と競争すると、どうしても自分が努力するより、人を呪ったり、人の邪魔をする方が効率が良くなる。これはよくありません。
そうではなくて、自分が昨日の自分より強くあること。その繰り返しによってしか人は強くなれないのです。強くありたい。昨日の自分より強くありたい。弱い自分に対して強くありたい。そう思わない限り人は強くなれないでしょう。
あと、不登校で引きこもりで人と接しない生活をしていたことがある人はよくわかると思うのですが、人との接点がなくなると逆説的に本当に人の目が気になります。なんていえばいいのか、人との接触で傷つくことが少なくなると、人の一言に余計敏感になるのです。
誰からも評価されていない。蔑まれている。それは一つの真実だったんでしょう。不登校で引きこもりのニートが復活する為には学歴を手に入れるしかありませんでした。結局学歴が必要だと思ったのです。(ただ、これは認識の問題で、高校時代も私のことを良い友達だと思ってくれていた人はいたのかも。)
まぁ、とにかく学歴が必要。しかし学力がない。ということで、とにかく掛ける費用が最小で、得られる効果が最大の入試を探しに探しました。一つ見つけたのが一教科入試でした。これは慶應SFCなんかがやってる入試で、小論文を除けば、英語か数学だけで受験ができるというものです。
恥ずかしながら私もこの罠にどっぷりはまったタイプです。一教科入試とはいうのですが、たとえば英語の問題なら帰国子女が解けば解けるのかというと解けません。私の教え子でも留学経験がある子がかなり落ちています。小論文だって難しい。やり方はありますが大変です。
私はこの入試で合格しましたが、教え子さんにはお勧めしません。実際今日紹介する二人の教え子は、どちらも慶應の経済、早稲田の法などの早慶の一流学部を志望して、たまたまSFCにも合格を果たしただけの子です。
余談はこれぐらいにして、大学入試で必要な要素というのは三つあります。理屈の理解、暗記事項の暗唱、それらの勉強を徹底することです。これしかありません。この三つだけで合格できます。
理屈の理解というのは、たとえば仮定法過去はどうして過去の話じゃないのに過去というのかとか、そのたぐいの話です。こういうことはいつでも人に説明できるようにしておかないといけません。あと、暗記事項についてですが、ぱらぱら見るだけで覚えられる訳がない。暗唱です。
こういう方法論を聞いたことがある人は、百万人といる。しかし、その中で成功した人が千人にもみたないのもまた事実です。ここから先は何が重要かというと、徹底する力です。とにかく徹底すること。それが大切です。徹底しなければ何も見えてこないからです。自分で責任をもってやることが大事です。
あと、これもすごく大切な考え方なのですが、今日は何時間勉強したとか、そういう発想は辞めましょう。この発想は二つの点で間違っています。まず勉強時間は今日は何時間したかではなく、今日は何時間しなかったかではかるべきです。あと、勉強はそもそも時間じゃなくて量と質です。
量を徹底的にこなすこと、一つ一つの習得事項が他の習得事項と関連性を持ち、一気に習得できるように質を向上していくこと。こういう考え方がとても重要になってきます。
あと、受験でも仕事でもそうですが、やれることを列挙して、すべてやり切りましょう。時間的な制約もあるので、もちろん優先順位はあるのですが、これらを全部やってダメだったら何やってもダメだというぐらいのいいあきらめをもって、それらをやり切りましょう。
そうすればたとえ受験で失敗しても後悔がない人生を歩めるし、成功したらしたで自信を持って人生を歩むことができます。こんなに素晴らしい人生はありません。やれることを列挙すること、優先順位を付けること、優先順位を付ける時は単位時間あたりの負担が一番きついものから、すべてやり切るのです。
そんなことをして、私は大学に合格しました。受験を決意したのが3年生の12月5日。受験したのが2月20日。三ヶ月もない受験勉強。私はリンがメタリカという英文集を暗唱し、英頻1000の説明を暗唱し、京大経済と慶應全学部の小論文を20年分解きました。
友達を見返してやりたい、そう思ったからやったんです。だけど、なんていうか勝った後に残されたのは喜びでも悲しみでもなく虚しさだけでした。大学受験に勝ったことは所詮小さなことなのです。
実家も結構ごたごたしていた時期で、大学受験に合格したことを除けば、入学してからは何もかもがうまく行きませんでした。バイトにも落とされたし、仕送りがなかったのでお金もなかったし、教育ローンや奨学金を借りることも禁止されていたので、もうどうしようもなくお金がなかった。
だから、もちろん友達みたいにサークルにも入れなかったし、パソコンだって友達がMacを買っているときに、私は型落ちのwin98のなんか、アメリカのステーキみたいに分厚いパソコンを使ってたりしました。情けなかったし悲しかった。
またもや、自分はなにも世の中に価値を産んでいないなと思い始めました。自分に出来ることは何かと考え始めました。ふと実家を離れる時に、友達から言われたことを思い出しました。「大学に合格したら塾講師、落ちてたらホストにでもなるしかないんじゃない?」
たしかに、自分はモテとは無縁でしたが、わりかし異性が好きだったというか大好きだったというか、そういう厄介な性分でした。たしかに学習塾なら購買決定層は中高年女性なわけだし、悪くない仕事だと思いました。ホストはどうかわかりませんが、ともかく塾講師になろうと思いました。
ただ、そうはいっても、実際のところ学習塾のバイトにはことごとく落とされました。困ったことでした。なんていうか、学力がついて、大学に合格したのはいいのですが、社会とうまく折り合いが付けられないという困った性分は一向に改善しておりませんで、本当にこまりました。どうしようかと。
仕方がないので、似たような子を集めて、不登校・引きこもりから早稲田・慶應へということで学習塾をやろうと思い立ちました。後から考えてみればこの業界には、どうも社会とうまく折り合いが付けられない人が多いですが、そんな風にしてこの業界に入って来たのかもしれません。
一番最初の時期に入って来た生徒ですが、9年間不登校・引きこもりだった生徒がいました。つまるところ、小学三年生ぐらいから浪人生になった今に至るまでずっと不登校で引きこもりだったというわけです。
どうして私の塾に来たかというと、理由は極めて簡単で、私は家賃3万円のアパートで塾を開業したのですが、そんな場所に人を呼べる訳がありませんから、インターネットテレビ電話のスカイプで個別指導をしていました。普通の予備校には通えないけどネットなら。そんな子が後に大挙するのです。
とくに印象深かったのは、この9年間不登校の生徒です。このままじゃダメになるといいました。学力の方はなんというか、やる気のみ持参といった体で、ひどいものでした。be動詞からやり直したことを今でも思い出します。ただ、面談に来てからは一日16時間ぐらい勉強してました。
ただ、一日16時間勉強したところで、9年間不登校だった子がいきなり大学受験クラスの勉強ができるようになるという法はありません。なにか飛び道具が必要でした。一つは、やはり、丸暗記からの脱却でした。理屈を理解し、そこから芋づる式に習得事項をおさえることができれば合格は近づきます。
あと、時として制限時間を決めて考えさせることも重視しました。一日中考えるのは休むことに似ていますが、五分ぐらいであれば真剣に考えることには価値があります。なぜなら、深く考えることで、正答が頭に入りやすくなるからです。
しかし、これだけ力を尽くしても、やはり成績はなかなか伸びません。模試を見るとE判定です。そういう時は、「ここの英文読解Aの部分だけは合格者より取れてるから、英熟語の対策をして、長文ももっと早く読めるようにして他の部分も伸ばそう」といいました。
これが、一点突破&横展開戦略です。どんな理不尽で不遇な状況に置かれても、自信を付けて、前に進むことを辞めない。これがやはり大事です。こういう心構えで仕事ができなければ、理不尽や不遇をつくった人間が笑い、犠牲になった人間が負ける社会ができます。そうであってはならない。
どんなタイミングであれ、そこにはチャンスがあり、それを獲得することができるのです。負けたと思ってはいけない。もちろん、闘うにあたって力不足ということは一杯あるのですが、負けたと思っては行けない。いつか必ず勝ちを取りに行くんだという姿勢を保ち続けることが大事です。
あと、ライバルにアドバンテージがない教科を最初に仕上げるというのも大事です、たとえば高校入学時から本格的に取り込む古文・漢文や、多くの受験生が苦手とする小説文・論説文、あとは受験直前に対策する人が多い小論文なんかもこういう教科です。
たとえば、小論文であれば、問題意識・原因分析・解決策を書き、それらに関連する修飾をしっかりと書き込めれば、他の受験生と圧倒的な差を付けることができます。そういうふうに、一つ一つの教科で勝ちパターンを決めて行くことが大事です。
こうしてライバルとアドバンテージがない教科を仕上げて、自信を付けることができたら、次は嫌いな教科を好きにならないといけないのです。では、「好き」や「嫌い」という感情がどこから生まれているのかを考える必要があります。
人はなぜ好き嫌いがあるのでしょうか。一つの仮説としてですが、人の好き嫌いというのは、ある対象に対する情報量次第だと私は考えています。たとえば、ピーマンが嫌いな子供は多いですが、ピーマンはある方法でいためると非常に甘くおいしくなる。それを知っていれば好きになれるでしょう。
だから、たとえばこの生徒さんは、そもそも英語の長文を読むのが苦手だったわけですが、そういう生徒さんであれば、たとえばバイクが好きだったら、バイクの雑誌を読ませる。そういう一つ一つの工夫がとても大事です。結局は情報量を増やすしかない。
これは勉強だ、これは恋愛だ、と意識して何かをするというのは良くないと思います。熱中しているとき、もっといえば結果が出る時というのは、これは勉強だとか、これは恋愛だとか、そんなことを一々意識してやってはいません。熱中すること。夢中になること。後ろを見ないことだけが成功の秘訣です。
あと、英文解釈なんかに代表されるように、やたら難しく考える人が多い分野もあります。たとえば100の技術とか、数百例文とかあるけれど、本来的にはそんなものは必要ない訳です。前、真ん中、後ろ、並列。これだけでいい。習得事項が多いことは良いことではありません。
英文解釈の修飾は、前か真ん中か後ろか並列にしかありません。だから、それだけおさえていればしっかり解釈できる。ここまではできる。でも英文読解ができない。読んだそばから記憶が飛んで行く。そんな人もいます。
そんな人にまずお勧めするのは、段落ごとにメモを取ること。あと、どこが問題意識で、どこが原因分析で、どこが解決策かを意識すること。抽象論と具体論の違いが分かるだけでも、桁違いに正答率が上がります。
ここまでが彼が受けようとしていた慶應経済と慶應SFCあたりでは大事な話ですが、目標設定全般でいえば、たとえば短期目標は現実的に立案すること、長期目標は今野延長線上にはない夢を持つこと、時間の単位を細かく、たとえば一時間、一分単位でそれぞれに夢を持ち達成することが大事です。
あと、こんなふうな自己啓発的な話をして、いざやる気が出ても、やはり萎える時・疲れる時というのはある。いわゆるスランプ。これをどう乗り越えるかというと、低速でも走ることをやめないこと。単純作業のための時間を取ること。集中力なんてどうでもいいから、持続力を付けること。
あと、小さな成功が出来たら、思い切り自分を褒めて調子にのること。そういうふうにしていれば、もともと落ち込みがちな生徒でも明るくなれます。一人ではそれはできないから、やはり個別指導する先生がそういうふうな方向性を作ってあげないといけない。
こんな感じで、この九年間不登校だった生徒は慶應に合格してくれました。とはいえ、見返してやりたいという気持ちで合格しても、その先に続く目標はない。マイナスの感情というのは、一時的には大きな結果をもたらすことはあっても、その後の方向性を見失わせてしまう。
だから、やっぱし人生は大きな目的をもって、その下に目標があって、そういうふうに計画は立案しないといけないと思います。まだまだ、がんばらないと。 - もう一人今日は紹介しようかな。11月ぐらいに来て、3ヶ月ちょっとで早稲田の法学部に合格した子の話。
- CheNaoto 2013-09-09 00:57:07
- そもそも、特に早稲田の法学部なんかそうだけど、日本の受験勉強では覚えなければならないと(されていること)が多すぎる。英単語5000個、数学の例題2000個、古文の文法書200枚。もちろんコツコツ勉強してた人なら習得できる範囲だけど、こんなもの、記憶の緩急も付けずにやって何になる?
- CheNaoto 2013-09-09 00:59:30
- 覚えなきゃ行けないことはなるべく少なくしないといけない。たとえば英語なら暗唱例文50枚、数学なら教科書やって、受験で必要な考え方を10個ぐらいやって、あとは過去問。古文の文法プリントは見開き3枚。ただ、これらを何十回もやる。それだけ。
- CheNaoto 2013-09-09 01:00:28
- こういう話を、この3ヶ月で早稲田法学部に合格した生徒にしたら、やはり!していたようで。ただ、これって本当に当たり前なんだけど、なかなか浸透していない認識なんだよなと思う。そもそも、文法書全部覚えられないからうちの塾に来る訳で、それをどうこうする法はない。
- CheNaoto 2013-09-09 01:02:36
- あと、これは学校教育とかもいけないと思うんだけど、細かい部分を自慢しないというのはすごく大事。学校の先生とか、わかりやすくする努力を怠った上で、こんなに細かいところ予備校ではやらないのよーっていって、細かいところを自慢するけど、細かいところは入試で出ない。意味ない。
- CheNaoto 2013-09-09 01:03:36
- 大切なのは、みんなが出来る部分を落とさないこと。合格点をとれればいいやという割り切り。これがすごく大切。点数配分を見て、取れる教科と取れない教科を見極めて、闘わない場所決める。闘う場所を決める。これが凄く大事。受験は実行よりも、この計画に労力を割くべきだとさえ思う。
- CheNaoto 2013-09-09 01:04:47
- 才能と努力の話がある。受験で失敗する人は、地頭とか才能の話を好む。ただ、たかが大学受験程度では、もちろん才能で合格する人もいるけど、ことただ合格することに関してだけいえば、才能はほとんど関係ない。
- CheNaoto 2013-09-09 01:05:36
- よく現代文はセンスとか小論文はセンスとか数学はセンスだと言う人がいる。私はそうは思わない。センスをどれだけ努力に落とし込めるかが大事。努力に落としこむというのは、たくさんある事例をパターン化していくということ。結局これがすべてだと思う。
- CheNaoto 2013-09-09 01:06:28
- 理屈を理解していくというのは、いろいろな事例を一つのパターンにすること。パターン化すること。暗記暗唱をするというのは、一つのパターンを、自分の血や肉にすること。あなたの性格がどっちなのかをハッキリと知らなければならない。
- CheNaoto 2013-09-09 01:07:23
- その上で、覚えることを極力少なくするパターン化と、反復回数を極力多くする肉体化をしっかりやっていけば、かならず短期間で圧倒的な成果が出る。あと、もう一つ大事なのは時間の単位を細かく区切ることだ。月単位で考えて来たものを、週単位、日単位にする。これが大事だ。
- CheNaoto 2013-09-09 01:08:23
- あと、過去問をやって、重複部分が多い参考書を買うのも大事。過去問はやる時よりも、分析に時間を掛けてもいいぐらいだ。早稲田なんかだとこれがとても大切になる。
- CheNaoto 2013-09-09 01:10:16
- あと、こういう知識を整理して、暗記量少なく反復多くする形の勉強がどうも苦手な人は、いっそのこと、内申点入試、つまり推薦入試を狙っても良い。いま半分ぐらいは推薦入試だ。これはもう性格の違いなので、適宜どちらか好きな方を決めてほしい。
- CheNaoto 2013-09-09 01:11:09
- 多くの人に地頭はない。残念ながら。そして、長時間努力できるのも一つの才能であり体力、素質だという指摘もわからなくはない。でも、覚えることを極力少なくする、短い時間でなるべく反復できるようにするというような工夫は誰にでもできる。だからその工夫を身につけてほしい。
- CheNaoto 2013-09-09 01:12:10
- 夏休みが終わって、ああうまくいかなかったなという人もいるかもしれないけれど、これを読み直してがんばってほしい。今日はとりあえず以上です。
麻生太郎氏のナチス発言が日本では許される理由
私は普段からテレビを見ないので、この発言に対して日本国内の人がさほど問題視していないように思えたのだけど、その事に正直びっくりした。
麻生太郎氏と言うのは、むかしから差別発言については問題がある人で、たとえば被差別部落出身のある大物政治家に対して差別発言をして非常に嫌われた事もあるし、その政治家とはまったく政治的立場を異とする別の被差別部落出身のある大物からも同じく嫌われていた。
前者の大物政治家はどちらかというと公共事業をがんがんやれという立場の政治家で、逆に後者の大物はどちらかというと国民は自分の責任で努力をすることが大切だという考え方だったけれど、どちらも等しく麻生太郎を嫌っていた。
ただ、逆に言うと、そういう抜き差しならない事情が無い限りにおいて、麻生太郎というのは国民に愛される政治家なのではないかと思う。現に私の周りで彼のことを悪く言う人はいない。
ここで問題なのは、なぜ海外であれほど感情的な反応を受ける麻生氏の発言が、日本国内ではさほど問題視されないかである。
理由は極めて簡単である。海外に比べて、日本では「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力が極めて弱いのである。
海外のほとんどの国では、名目的にも実質的にも単一民族ではない。それぞれの細かい出身地なり、民族なりでの対立が必ず会って、その中で社会が動いて行く。
一方で日本では、もちろんアイヌ民族や在日韓国人・中国人は居るけれども、彼らの比率は極めて少なく、また彼ら自身の大半は、日本人の名前を持ち、あまり自分たちの帰属を主張せずに、日本語でいえば「空気を読んで、波風を立てず」生きようとしてきた。
海外と、日本では「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力が全く違う。日本でも貧富の差はあり、民族も一つではない。が、ただ日本人は"貧富の差はあまりなく、民族は日本人である"という幻想を共有している。
海外ではこうは行かない。たとえば、中国でも韓国でもアメリカでもヨーロッパでも、おそらく多くの方は、"民族や門閥によっていつ自分が不利な立場に立たされるか分からない"という危機感を共有している。
だからこそ、「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力が強く、差別発言にも敏感になる。一方で、日本人にはこういう危機感は極めて薄い。自分は大丈夫、自分は弱者になる事なんてないと思うから、日本人は弱者に自己責任による解決を求める傾向が極めて強くなる。
ただ、私自身も高校時代に経験したことだけれども、人間生きていれば一度や二度は精神的にもつらい、どんづまりの時期を迎えることになる。人によっては、うつになったり不眠症になったりパニック障害になったりする。そのときはじめて分かる。人はいつだって弱者になりうると。
「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力があれば、人に差別発言をし、差別を許す社会を作ることに対して明確なノーを突きつける事ができる。
それでも僕は強く生きて行くんだという人がいる。それが一生できればいい。
けれども、麻生某氏のように、一生強く生きて行くことは、たいていの場合、何かしら恵まれた環境があるからこそ可能なだけであって、所与の条件が極めて分が悪い時は、転がり落ちながら自分なりの成功を求めて行くしかできないことがほとんどだ。
だからこそ、自分が転がり落ちた時の保険を作るためにも、半ば利己的な動機で、私たちは差別的な発言を許してはならない。
被差別部落や在日韓国人、ユダヤ人を差別することは、明日精神疾患になるかも分からない自分自身の首を真綿でゆっくり絞めるような行為である。私たちはそういう危機感を、一人ではなく、みんなで共有しなければならないと思う。麻生太郎的なるものを許してはいけない。
麻生太郎氏と言うのは、むかしから差別発言については問題がある人で、たとえば被差別部落出身のある大物政治家に対して差別発言をして非常に嫌われた事もあるし、その政治家とはまったく政治的立場を異とする別の被差別部落出身のある大物からも同じく嫌われていた。
前者の大物政治家はどちらかというと公共事業をがんがんやれという立場の政治家で、逆に後者の大物はどちらかというと国民は自分の責任で努力をすることが大切だという考え方だったけれど、どちらも等しく麻生太郎を嫌っていた。
ただ、逆に言うと、そういう抜き差しならない事情が無い限りにおいて、麻生太郎というのは国民に愛される政治家なのではないかと思う。現に私の周りで彼のことを悪く言う人はいない。
ここで問題なのは、なぜ海外であれほど感情的な反応を受ける麻生氏の発言が、日本国内ではさほど問題視されないかである。
理由は極めて簡単である。海外に比べて、日本では「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力が極めて弱いのである。
海外のほとんどの国では、名目的にも実質的にも単一民族ではない。それぞれの細かい出身地なり、民族なりでの対立が必ず会って、その中で社会が動いて行く。
一方で日本では、もちろんアイヌ民族や在日韓国人・中国人は居るけれども、彼らの比率は極めて少なく、また彼ら自身の大半は、日本人の名前を持ち、あまり自分たちの帰属を主張せずに、日本語でいえば「空気を読んで、波風を立てず」生きようとしてきた。
海外と、日本では「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力が全く違う。日本でも貧富の差はあり、民族も一つではない。が、ただ日本人は"貧富の差はあまりなく、民族は日本人である"という幻想を共有している。
海外ではこうは行かない。たとえば、中国でも韓国でもアメリカでもヨーロッパでも、おそらく多くの方は、"民族や門閥によっていつ自分が不利な立場に立たされるか分からない"という危機感を共有している。
だからこそ、「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力が強く、差別発言にも敏感になる。一方で、日本人にはこういう危機感は極めて薄い。自分は大丈夫、自分は弱者になる事なんてないと思うから、日本人は弱者に自己責任による解決を求める傾向が極めて強くなる。
ただ、私自身も高校時代に経験したことだけれども、人間生きていれば一度や二度は精神的にもつらい、どんづまりの時期を迎えることになる。人によっては、うつになったり不眠症になったりパニック障害になったりする。そのときはじめて分かる。人はいつだって弱者になりうると。
「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力があれば、人に差別発言をし、差別を許す社会を作ることに対して明確なノーを突きつける事ができる。
それでも僕は強く生きて行くんだという人がいる。それが一生できればいい。
けれども、麻生某氏のように、一生強く生きて行くことは、たいていの場合、何かしら恵まれた環境があるからこそ可能なだけであって、所与の条件が極めて分が悪い時は、転がり落ちながら自分なりの成功を求めて行くしかできないことがほとんどだ。
だからこそ、自分が転がり落ちた時の保険を作るためにも、半ば利己的な動機で、私たちは差別的な発言を許してはならない。
被差別部落や在日韓国人、ユダヤ人を差別することは、明日精神疾患になるかも分からない自分自身の首を真綿でゆっくり絞めるような行為である。私たちはそういう危機感を、一人ではなく、みんなで共有しなければならないと思う。麻生太郎的なるものを許してはいけない。
ワタミで一生懸命働いても給料が上がらない理由
次は、自民党シリーズで「ワタミで一生懸命働いても、あまり給料が上がらない理由」について話をしようかなと。
http://t.co/oxzmiIqAeP
ワタミがブラック企業だと言われて問題になっている。
これは麻生太郎氏の話とは違って、主に日本国内で問題になっていて、私の会社のスタッフも私の事を冗談で「教育業界のワタミ」とか「ワタミ二号」と陰口を叩いているし、そういえばこのあいだ講師に誘われた合コンでも「社畜です」と自己紹介した人がいた。
ワタミがブラック企業かどうかは今報道されている事実だけでは分からないけれども、一つ言える事は、ワタミで一生懸命働いても、そんなに給料がどばっと上がる訳ではないということだろう。このことに関しては、ブラック企業疑惑が取りざたされている経営陣も認めるだろう。
では、なぜ一生懸命働いても、給料が上がらないのか。多くの人は、渡邊氏が蓄財をしているとか、鬼畜なんだとか、ブラック経営者なんだというけれども、おそらくそれは違う。ワタミの営業利益率はせいぜい5%で、ほとんどボランティアみたいなものである。
渡邊氏の資産のほとんどは、株式市場を通じて作られたものである。では、従業員がもっと一生懸命働けば給料が増えるのか。それも違う。彼らはおそらく限界ぎりぎりまでがんばって働いている。ワタミで出会ったスタッフの人たちは本当に熱心に働いている。
ある時、T.G.I.Friday.というワタミ系列のレストランに言ったら、ランチの時間だったけど、ペプシコーラを飲み干すごとに、すぐ気付いて飛んで来て、お変わりいかがですか?と店員さんが訪ねて来て、それでおかわり代は一切請求されなかった。こんなレストランは他に無い。
では、これは良く経営者がいう詭弁だけど、彼らがリスクを取っていないから給料が低いのか。それも違う。ワタミは相当コストを切り詰めても営業利益率は5%程度で決して高くはないし、そもそもリスクを取る事と、高い給料が得られることは=ではない。というか、ほとんど関係ない事が多い。
では、なぜワタミの人たちは、どんなに一生懸命働いても、それほど給料がどばっと増えるわけではないのか。それは需要と供給で考えれば分かりやすい。ワタミで働こうと思えば働ける人たちは案外一杯いる。だから、給料がそれほど高くなくても、人を雇って、仕事を回せる。
さらにいうと、今日の宴会を和民でやるか魚民でやるかは多くの人にとってそれほど重要な問題ではない。子供の一生の進路を決めるような切実な問題ではないので、自ずと価格競争が激化する。
その点、ホストクラブや学習塾というのは、自分が誰を好きになるか、自分の子供の進路がどうなるかという切実な問題を扱うため、価格競争はあまり意味をなさない。価格での競争が起きない。だから、一生懸命働きさえすれば、ホストクラブや学習塾の経営者やスタッフというのは、必ず高給取りになる。
この原理原則を学んだのは、私が仕送りなしで大学に行き、自分でスカイプによる家庭教師を立ち上げた時だ。最初、慶應生がやってるスカイプ家庭教師ってことでやれば地方の奴らは指導を受けに来たがるだろう。地方には(語弊はあるけれど)優秀な大学生は少ないから、ということで仕事を始めた。
私は絶望的に甘かったし、傲慢だった。一ヶ月経って、生徒は一人しかこなかった。
元来のコミュ障で、バイトはことごとく落ちており、一日一杯の牛丼しか食べれない日が続いた。そういえば、父親がやたら仕事をがんばる人だったので、収入が高く、奨学金も借りる事が出来なかった。
あまりに腹が空いたので、牛丼と白飯を頼み、牛丼の牛肉半分を白飯によそり、牛丼二杯にして食べたのは良い思い出。この時私は、デブは、牛肉が半分しかないヘルシーな牛丼を二杯食べるのだということを学んだ。デブはダイエット飲料を二倍飲むというアレである。どうにか打開策を考えなければ。
そこで私が思いついたのは、不登校・ひきこもりの子の慶應受験に特化した塾だった。慶應といっても、SFCなら実質1教科の勉強で行ける。私自身、高校にまともに通ったのは三ヶ月程度で、他の時期はバスに乗っただけで泣き出したり、よく眠れないような生活をしていたので、彼らの気持ちは分かる。
就職活動のことを考えると、本当は、本音でいうと、高校生のとき、自分が不登校でひきこもりなんて事は公開したくなかった。
自分がもしそれを公開しない人生を歩めば、スマートで格好良い慶應ボーイで、そんでもって証券会社あたりに入り、きれいな窓口嬢の奥さんと結婚し、町田あたりで一軒家を買い、カローラに乗り、ゴルフに行くような生活をしていたと思う。私はそういう平凡なささやかな幸せのある人生を生きたかった。
だが背に腹は代えられない。私は望んでいた平凡な生活を諦めて、ヒルズでベンツでモデルと合コンか、はたまた家賃3万円で銭湯暮らしかの二択しかないベンチャー起業家になった。
その後、スカイプによる不登校・引きこもりの子向けの家庭教師は小成功をおさめ、国語偏差値40の子が早稲田の法学部にいったり、9年間不登校だった子が慶應SFCに入ったり、別の不登校だった子が慶應SFCに入ったりした。どんだけ不登校にやさしいんだ慶應SFCは。
話が脱線したけれど、つまり私は、顧客ターゲット層を「不登校・引きこもり」でかつ「慶應に行きたい人」に絞り込み、そこから高い単価で仕事を取る事で、高い利益率を実現し、自分の大学生活をどうにか立て直した。つまり、ものすごく切実な需要があるところに絞って、そこから高い収益を得た。
人生において大切な事というと言い過ぎだけれども、自分が自分らしく、高い給料をもらいながら、幸せに生きる方法はこれしか無いと思う。つまり、自分が食物アレルギーなら食物アレルギーの人向けの店を作る。人間探せば一つぐらい弱味があるから、それを自分だけの強みに変えて、商売するのだ。
こういう商売は、大きな初期投資が必要になる居酒屋や介護施設と違って、ある限られた層の人の、すごく切実な需要にフォーカスをするため、実はほとんど初期投資は掛からない。店舗がボロくても臭くても、アレルギーの人はアレルギーの人向けの店しか使わないし、引きこもり・不登校も同じだ。
だから、こういう商売は初期投資がほとんど掛からない上に、儲かる。
一方、居酒屋や介護施設、私がやっているような「24時間365日勉強の質問にすぐ答えるサービス」https://t.co/6LsrqiAdIaのようなターゲット顧客が広いビジネスは、競合も多く、顧客の目も厳しいので初期投資がかさむわりに、競合との価格競争に晒されるので、儲からない。
では、なぜ渡邊氏が、そういう儲からないビジネスばかりやるかというと、それは広いターゲット顧客を相手とし、儲からないビジネスをすることで、自分の魂のレベルを鍛え上げるためだという。これはなんとなく、よくわかる考え方だと思う。
こういう渡邊氏の考えを詭弁だという人がいるけれども、私はそうは思わない。ホストクラブや学習塾のような利幅が高いビジネスは、やっているうちに、高い給料をもらう事が当たり前になり、人様からお金をいただくことのありがたさ、大変さ、尊さを忘れてしまい、他の商売が出来なくなる。
だから申し訳ないけれど、塾業界や教育業界の人は、本当に社会常識を知らないというか、傲慢な方が多い。それが嫌で、私は月々3000円から使え、いますぐに勉強の質問に回答するサービスを1000万近く掛けて作った。
切実な需要を掬いあげることで高収益を実現することと、大規模なターゲット層を狙って大きな売り上げを上げる事を両立できればと考えている。
ワタミを独立してワタミの元幹部だった方立ち上げた外食企業も、100店舗100業態を作るのではないかと思うぐらい、どんどん別業態を出しながら大きくなっている。こういうやり方で、その地域地域の切実な需要を掬い上げ、高い収益と高い売り上げを両立するケースがこれからは増えて行くだろう。
高い給料を得るために必要なことは、一生懸命働く事でもなければ、ましてリスクを取る事でもない。需要はそこそこあるんだけど、供給がまったくない市場を狙いを定めて、むずかしいけれど必要とされていることだけに焦点を絞って、問題解決をやり切り、小さな売り上げと高い収益率を上げることだ。
結局これからの時代は、それをやりきった企業だけが大企業になると思う。お金がある時は、家に送られてきた漫画で「通信教育をやれば部活も恋愛も勉強もうまく行く」と書いてあったから、手も付けない教材に三ヶ月で二万も払いましたという笑い話は十分に成り立つが、これからはそういう時代ではない。
たとえば、自分の息子が不登校だった。そこで不登校の子向けの言葉が書いてあるtwitterのbotを見て、月3000円から何度でも相談に乗ってくれるサイトを見つけた。そこで自分の息子とぴったりの不登校経験がある先生を見つけて、息子が東大早稲田慶應に合格した。
このぐらい切実な需要を満足させるサービスを作らないと、これからの厳しい経済情勢の中では、きっと生き残っていけないと思う。親戚中に借金してでも行きたいようなサービスを作らなければ、きっと生き残って行けないと思う。
ワタミ的なるもの、それほど切実な需要ではない需要を掬い上げながら成長していく路線には限界があり、これからはきっと世界が変わる。
そのとき、働く人々の待遇も飛躍的に良くなり、働く人々の心持ちも、まさに自分がやりたいことをやっているということで、ストレスもなく、一生懸命働くことができるようになるのではないかと私は思う。
とはいえ、これはフォローだけれども、やはり渡邉美樹さんというのは優秀な経営者で、居酒屋という切実かどうかよくわからないふんわりとした需要を掬うマーケットから、介護や宅食のような切実な需要があるマーケットに軸をうつしている。これはしばらくは大成功するだろう。
ただ、巨大なチェーン展開というのは、人々をあるべき姿ではなくチェーン本部に従属させる。こういうやり方は、もうそれほど長くないだろうと私は考えている。私は人々の選択の自由というのは、それだけの価値があるものだと踏んでいる。
人々が、高い報酬をもらいながら、心豊かにはたらいているためには、やはり市場の細分化・事業の専門特化がなによりも必要になる。きっと時代はそういう方向に向くと私は考えているし、その日を信じて、私は今日も仕事をしています。
http://t.co/oxzmiIqAeP
ワタミがブラック企業だと言われて問題になっている。
これは麻生太郎氏の話とは違って、主に日本国内で問題になっていて、私の会社のスタッフも私の事を冗談で「教育業界のワタミ」とか「ワタミ二号」と陰口を叩いているし、そういえばこのあいだ講師に誘われた合コンでも「社畜です」と自己紹介した人がいた。
ワタミがブラック企業かどうかは今報道されている事実だけでは分からないけれども、一つ言える事は、ワタミで一生懸命働いても、そんなに給料がどばっと上がる訳ではないということだろう。このことに関しては、ブラック企業疑惑が取りざたされている経営陣も認めるだろう。
では、なぜ一生懸命働いても、給料が上がらないのか。多くの人は、渡邊氏が蓄財をしているとか、鬼畜なんだとか、ブラック経営者なんだというけれども、おそらくそれは違う。ワタミの営業利益率はせいぜい5%で、ほとんどボランティアみたいなものである。
渡邊氏の資産のほとんどは、株式市場を通じて作られたものである。では、従業員がもっと一生懸命働けば給料が増えるのか。それも違う。彼らはおそらく限界ぎりぎりまでがんばって働いている。ワタミで出会ったスタッフの人たちは本当に熱心に働いている。
ある時、T.G.I.Friday.というワタミ系列のレストランに言ったら、ランチの時間だったけど、ペプシコーラを飲み干すごとに、すぐ気付いて飛んで来て、お変わりいかがですか?と店員さんが訪ねて来て、それでおかわり代は一切請求されなかった。こんなレストランは他に無い。
では、これは良く経営者がいう詭弁だけど、彼らがリスクを取っていないから給料が低いのか。それも違う。ワタミは相当コストを切り詰めても営業利益率は5%程度で決して高くはないし、そもそもリスクを取る事と、高い給料が得られることは=ではない。というか、ほとんど関係ない事が多い。
では、なぜワタミの人たちは、どんなに一生懸命働いても、それほど給料がどばっと増えるわけではないのか。それは需要と供給で考えれば分かりやすい。ワタミで働こうと思えば働ける人たちは案外一杯いる。だから、給料がそれほど高くなくても、人を雇って、仕事を回せる。
さらにいうと、今日の宴会を和民でやるか魚民でやるかは多くの人にとってそれほど重要な問題ではない。子供の一生の進路を決めるような切実な問題ではないので、自ずと価格競争が激化する。
その点、ホストクラブや学習塾というのは、自分が誰を好きになるか、自分の子供の進路がどうなるかという切実な問題を扱うため、価格競争はあまり意味をなさない。価格での競争が起きない。だから、一生懸命働きさえすれば、ホストクラブや学習塾の経営者やスタッフというのは、必ず高給取りになる。
この原理原則を学んだのは、私が仕送りなしで大学に行き、自分でスカイプによる家庭教師を立ち上げた時だ。最初、慶應生がやってるスカイプ家庭教師ってことでやれば地方の奴らは指導を受けに来たがるだろう。地方には(語弊はあるけれど)優秀な大学生は少ないから、ということで仕事を始めた。
私は絶望的に甘かったし、傲慢だった。一ヶ月経って、生徒は一人しかこなかった。
元来のコミュ障で、バイトはことごとく落ちており、一日一杯の牛丼しか食べれない日が続いた。そういえば、父親がやたら仕事をがんばる人だったので、収入が高く、奨学金も借りる事が出来なかった。
あまりに腹が空いたので、牛丼と白飯を頼み、牛丼の牛肉半分を白飯によそり、牛丼二杯にして食べたのは良い思い出。この時私は、デブは、牛肉が半分しかないヘルシーな牛丼を二杯食べるのだということを学んだ。デブはダイエット飲料を二倍飲むというアレである。どうにか打開策を考えなければ。
そこで私が思いついたのは、不登校・ひきこもりの子の慶應受験に特化した塾だった。慶應といっても、SFCなら実質1教科の勉強で行ける。私自身、高校にまともに通ったのは三ヶ月程度で、他の時期はバスに乗っただけで泣き出したり、よく眠れないような生活をしていたので、彼らの気持ちは分かる。
就職活動のことを考えると、本当は、本音でいうと、高校生のとき、自分が不登校でひきこもりなんて事は公開したくなかった。
自分がもしそれを公開しない人生を歩めば、スマートで格好良い慶應ボーイで、そんでもって証券会社あたりに入り、きれいな窓口嬢の奥さんと結婚し、町田あたりで一軒家を買い、カローラに乗り、ゴルフに行くような生活をしていたと思う。私はそういう平凡なささやかな幸せのある人生を生きたかった。
だが背に腹は代えられない。私は望んでいた平凡な生活を諦めて、ヒルズでベンツでモデルと合コンか、はたまた家賃3万円で銭湯暮らしかの二択しかないベンチャー起業家になった。
その後、スカイプによる不登校・引きこもりの子向けの家庭教師は小成功をおさめ、国語偏差値40の子が早稲田の法学部にいったり、9年間不登校だった子が慶應SFCに入ったり、別の不登校だった子が慶應SFCに入ったりした。どんだけ不登校にやさしいんだ慶應SFCは。
話が脱線したけれど、つまり私は、顧客ターゲット層を「不登校・引きこもり」でかつ「慶應に行きたい人」に絞り込み、そこから高い単価で仕事を取る事で、高い利益率を実現し、自分の大学生活をどうにか立て直した。つまり、ものすごく切実な需要があるところに絞って、そこから高い収益を得た。
人生において大切な事というと言い過ぎだけれども、自分が自分らしく、高い給料をもらいながら、幸せに生きる方法はこれしか無いと思う。つまり、自分が食物アレルギーなら食物アレルギーの人向けの店を作る。人間探せば一つぐらい弱味があるから、それを自分だけの強みに変えて、商売するのだ。
こういう商売は、大きな初期投資が必要になる居酒屋や介護施設と違って、ある限られた層の人の、すごく切実な需要にフォーカスをするため、実はほとんど初期投資は掛からない。店舗がボロくても臭くても、アレルギーの人はアレルギーの人向けの店しか使わないし、引きこもり・不登校も同じだ。
だから、こういう商売は初期投資がほとんど掛からない上に、儲かる。
一方、居酒屋や介護施設、私がやっているような「24時間365日勉強の質問にすぐ答えるサービス」https://t.co/6LsrqiAdIaのようなターゲット顧客が広いビジネスは、競合も多く、顧客の目も厳しいので初期投資がかさむわりに、競合との価格競争に晒されるので、儲からない。
では、なぜ渡邊氏が、そういう儲からないビジネスばかりやるかというと、それは広いターゲット顧客を相手とし、儲からないビジネスをすることで、自分の魂のレベルを鍛え上げるためだという。これはなんとなく、よくわかる考え方だと思う。
こういう渡邊氏の考えを詭弁だという人がいるけれども、私はそうは思わない。ホストクラブや学習塾のような利幅が高いビジネスは、やっているうちに、高い給料をもらう事が当たり前になり、人様からお金をいただくことのありがたさ、大変さ、尊さを忘れてしまい、他の商売が出来なくなる。
だから申し訳ないけれど、塾業界や教育業界の人は、本当に社会常識を知らないというか、傲慢な方が多い。それが嫌で、私は月々3000円から使え、いますぐに勉強の質問に回答するサービスを1000万近く掛けて作った。
切実な需要を掬いあげることで高収益を実現することと、大規模なターゲット層を狙って大きな売り上げを上げる事を両立できればと考えている。
ワタミを独立してワタミの元幹部だった方立ち上げた外食企業も、100店舗100業態を作るのではないかと思うぐらい、どんどん別業態を出しながら大きくなっている。こういうやり方で、その地域地域の切実な需要を掬い上げ、高い収益と高い売り上げを両立するケースがこれからは増えて行くだろう。
高い給料を得るために必要なことは、一生懸命働く事でもなければ、ましてリスクを取る事でもない。需要はそこそこあるんだけど、供給がまったくない市場を狙いを定めて、むずかしいけれど必要とされていることだけに焦点を絞って、問題解決をやり切り、小さな売り上げと高い収益率を上げることだ。
結局これからの時代は、それをやりきった企業だけが大企業になると思う。お金がある時は、家に送られてきた漫画で「通信教育をやれば部活も恋愛も勉強もうまく行く」と書いてあったから、手も付けない教材に三ヶ月で二万も払いましたという笑い話は十分に成り立つが、これからはそういう時代ではない。
たとえば、自分の息子が不登校だった。そこで不登校の子向けの言葉が書いてあるtwitterのbotを見て、月3000円から何度でも相談に乗ってくれるサイトを見つけた。そこで自分の息子とぴったりの不登校経験がある先生を見つけて、息子が東大早稲田慶應に合格した。
このぐらい切実な需要を満足させるサービスを作らないと、これからの厳しい経済情勢の中では、きっと生き残っていけないと思う。親戚中に借金してでも行きたいようなサービスを作らなければ、きっと生き残って行けないと思う。
ワタミ的なるもの、それほど切実な需要ではない需要を掬い上げながら成長していく路線には限界があり、これからはきっと世界が変わる。
そのとき、働く人々の待遇も飛躍的に良くなり、働く人々の心持ちも、まさに自分がやりたいことをやっているということで、ストレスもなく、一生懸命働くことができるようになるのではないかと私は思う。
とはいえ、これはフォローだけれども、やはり渡邉美樹さんというのは優秀な経営者で、居酒屋という切実かどうかよくわからないふんわりとした需要を掬うマーケットから、介護や宅食のような切実な需要があるマーケットに軸をうつしている。これはしばらくは大成功するだろう。
ただ、巨大なチェーン展開というのは、人々をあるべき姿ではなくチェーン本部に従属させる。こういうやり方は、もうそれほど長くないだろうと私は考えている。私は人々の選択の自由というのは、それだけの価値があるものだと踏んでいる。
人々が、高い報酬をもらいながら、心豊かにはたらいているためには、やはり市場の細分化・事業の専門特化がなによりも必要になる。きっと時代はそういう方向に向くと私は考えているし、その日を信じて、私は今日も仕事をしています。
なぜワタミは入社二ヶ月で自殺するような社員を採用したのか? 〜ワタミ渡邉美樹氏に学ぶ人材採用の秘訣!〜
今日は「なぜワタミは入社二ヶ月で自殺するような社員を採用したのか? 〜ワタミ渡邉美樹氏に学ぶ人材採用の秘訣!〜」です。
HeyNaoto 2013-08-03 11:41:53
今日朝、事務所で目が覚めて、はてなブックマークを見てたらびっくりした。何がびっくりしたって、このワタミ渡邉美樹氏の発言である。ワタミ渡辺美樹 「(過労自殺社員)なぜ採用したのか。不適性を見極められなかったか反省をしている」
http://t.co/eCjqXtIN9m
HeyNaoto 2013-08-03 11:42:56
どこから突っ込んで良いかわからないぐらい突っ込みどころのある発言でびっくりした。私自身、渡邉美樹氏のことは非常に尊敬していて、本もたくさん読んで来て、教え子にもスタッフにも渡邉美樹氏の本をプレゼントする事が多かったので、なおさらびっくりした。いったいどういうことだと。
HeyNaoto 2013-08-03 11:44:05
多くの人にびっくりされる意外な事実だけれども、実は私が働いている塾業界というのは、ワタミと比べても、3年離職率が極めて高い。残業の多さや研修(というか授業の予習)もワタミより多いかもしれないし、賃金も実は末端のスタッフはさほど高くない。
HeyNaoto 2013-08-03 11:45:47
あと、産業構造や利益構造も外食産業に結構似ている部分がある。基本的に多店舗展開で、個人経営の塾も多い多数乱戦業界で、規模の経済が働かない労働集約型産業で、小資本で参入できる。塾の場合、広告費、管理人件費、講師費、教材費、家賃あたりが五大経費でこれを削れば利益が上がる。
HeyNaoto 2013-08-03 11:47:45
多くの塾の場合、広告費、管理人件費、講師費、教材費、家賃のうち、広告費と教材コピー費と家賃は削れないので、必然的に管理人件費と講師費を削る方向に向かって行った。映像授業予備校は講師の給料が高いというけれど、先生は少ないので、総人件費としてはやはり削る方向で動いている。
HeyNaoto 2013-08-03 11:49:16
私が経営している、勉強の質問にいますぐ答えるサービス「速解先生」https://t.co/6LsrqiAdIa の場合は、ネットで展開しているので、教材印刷費、家賃を削ることで、管理人件費と講師時給を上げている。
HeyNaoto 2013-08-03 11:51:47
広告費は9月からしばらくは集中的に投下するけど、仕組みが出来れば必要なくなる。講師時給は業界平均の二倍、管理人件費は今はほとんどいただけていないですが(><)これからたんまり取れればいいと期待していますw
HeyNaoto 2013-08-03 11:52:03
主な客層も似ている。塾に来る層も、ファミレス風の居酒屋に来る層も、どちらも収入には多少なりとも余裕がある家族持ちの層である。であるからにして、(私はいただいた事はないけれども)、外食産業も塾産業も、いただくクレームの質みたいなものも結構似ている。
HeyNaoto 2013-08-03 11:54:03
これだけの共通点があるので、やはり外食産業の方の成功物語というのは、学習塾の業界でもとても参考になった。夢に日付を!は、目をかけている教え子様には何度も読ませた。講師の飲み会ではいつも、「和民」を使っていた。だからこそ、この発言にはちょっと驚いているというか、言葉が出ない。
HeyNaoto 2013-08-03 11:55:32
いわゆるベンチャー企業の社長たちの飲み会に行く事がある。私は飲み会は大嫌いでめったに行かないのだけど、たまに行くとだいたい不愉快な思いをして帰って来ることになる。どうしてかというと、だいたい雇っていたスタッフの悪口を言う社長が多いからである。
HeyNaoto 2013-08-03 11:58:02
一方で、仕事ができる社長はこういうことはいわない。外部では、いや本当に仕事ができるんですよあいつら、という話しかしない。たとえばDeNAの創業者である南場さんの本を読んだけれど、とてもメンバーが優秀だったと書いてある。
HeyNaoto 2013-08-03 11:58:43
しかし、客観的にみてDeNAの創業メンバーが優秀かどうかは分からない。初期の頃は、オークションサイトを作ると日経新聞にまで出たのに、システムが出来ていないという失態をしているが、こういう失態はおおよそ優秀なメンバーであればしない。
HeyNaoto 2013-08-03 12:00:03
(ただ、私もしたことがある。このときはDeNAのライバルであるGREE出身のエンジニアにどうにかしていただいた。)
HeyNaoto 2013-08-03 12:00:06
つまり、客観的にみて優秀じゃないかもしれないメンバーである。(優秀かもしれないけれど。)そのメンバーをDeNAの創業者である南場さんは、極めて優秀なメンバーだと褒めたたえる。これが社長というものではないだろうか。
HeyNaoto 2013-08-03 12:01:04
馬子にも衣装で、優秀だ優秀だと言い続ければ、本当に人は優秀になる。逆にバカだバカだと言い続ければ、人は本当にバカになる。実際多分DeNAの創業メンバーより優秀だよなというメンバーがいるスタートアップで、あまり優秀ではない経営者が、メンバーを潰した例は百と知っている。
HeyNaoto 2013-08-03 12:02:31
私はそのことを学習塾で学んだ。最初の時期なんか、本当にbe動詞も分からないような教え子様しかこなかった。
HeyNaoto 2013-08-03 12:04:26
そこでどうしたかというと、例えば背理法の概念を教えたあとに、「tan1°は有理数か。(京都大学)」という問題の解き方を考えさせる。tanとか有理数についてはもちろん分からない生徒だけど、「?は?か」みたいに問題文を読んで、解法だけ考えてみろというのである。
HeyNaoto 2013-08-03 12:05:03
もちろん、背理法を教えた直後なので、「?は?か」という問題文を見たら、ほぼ100%の生徒が「?は?ではない、って仮定して、計算すればいいですね!」と言う。そこですかさず、「すごいね!この問題京大合格した人でも出来ない人いたんだよ!やればできるよ!」という。心から。
HeyNaoto 2013-08-03 12:08:23
大学受験に詳しい人なら、この褒め方が欺瞞だということはすぐ分かる。大学受験は、いろいろ学んだ後に受けるので、これが背理法を使うということが千とある解法の中でパッと浮かばないから悩むのである。
HeyNaoto 2013-08-03 12:08:34
あと、蛇足だけどさっきの問題は、有理数だと仮定して解くのが正しい。tan1が有理数なわけないんだから。ただ、そんなことはどうでもいい。話の筋ではない。とにかく馬子にも衣装で、自信を付けさせる事が大事なのだ。
HeyNaoto 2013-08-03 12:09:31
私は「ユダヤ人大富豪の教え」という本が好きで、たしかそのシリーズ3刊目に載っていた話だけど、人間には「ポジティブ自立」「ポジティブ依存」「ネガティブ自立」「ネガティブ依存」の四種類があるという話だった。これは今まで見たどの人格類型よりもしっくり来た。
HeyNaoto 2013-08-03 12:11:17
「ポジティブ自立」というのは元気があればなんでもできるというタイプ、「ポジティブ依存」というのは、明るいんだけど責め立てられるとおどおどしてミスを連発するタイプ、「ネガティブ自立」はひたすら怒るタイプ、「ネガティブ依存」というのはひたすら怒られるタイプ。
HeyNaoto 2013-08-03 12:12:59
この類型の中でいうと、ワタミで過労死をした方はおそらく「ポジティブ依存」なんだろうなと思う。最初は調子よく、自己啓発的なものに共感するのだけれども、ミスを指摘されたりすると、おどおどしてどんどんミスを連発するタイプである。こういう人は採用しないに越したことがないのは事実だろう。
HeyNaoto 2013-08-03 12:14:28
ただ、私は塾をしているので、好むと好まざるとに関わらず、こういう教え子様を相手にせざるを得なかった。それで、どうするかというと、とにかくこの手のタイプは自信を与えるしかないのである。
HeyNaoto 2013-08-03 12:16:04
Content from Twitter
現在 なにかすこしでも出来た事があれば褒める。逆にミスをしたときは、相手の内発的動機付けに基づいて行動させるために、ロジックを理解させ、納得させる。理不尽な感じを与えない、おどおどさせないことが大事。そして、少しずつ人格をポジティブ自立のほうに動かす。するとミスを少なくなる。
HeyNaoto 2013-08-03 12:17:22
ここまで来るとワタミの採用法や、教育法というのは、怒られ慣れている人、怒られて人に付いて行く人(「ネガティブ依存」)を採用し、怒って、前向きな目標に向かわせる人(「ポジティブ自立」)が彼らを教育するものだということがわかる。
HeyNaoto 2013-08-03 12:22:13
ただ、ポジティブ自立な人というのは、ポジティブ依存な人と、採用の段階では見分けがつかない。なぜなら、どちらも自己啓発的なものが好きだし、口では威勢のいいことを言うからである。だから実際問題、採用側はポジティブ自立だと思った人が、ポジティブ依存だと「だまされた!」と思う。
HeyNaoto 2013-08-03 12:23:18
こと、私もポジティブ自立のように思われる事が多いが、実はポジティブ依存的な部分が強いので、人に𠮟られるとミスが増え、成果が上がらなくなる典型的な人間である。だからこそ、ワタミの採用した側の気持ちも、過労死した側の気持ちもある程度わかる。一言でいうと、それは教育法が悪いのだ。
HeyNaoto 2013-08-03 12:24:31
ただ、一方で、世の中には怒られて𠮟られて付いていく「ネガティブ依存」の人も多く、彼らは「ポジティブ自立」の上司と相性がいい。だから、「ネガティブ依存」のスタッフを採用するのなら、ワタミは「叱る」のが中心の従業員教育で全く問題はない。そのまま続けていただければ良い。
HeyNaoto 2013-08-03 12:26:04
ただ、「ネガティブ依存」の人を採用したいのであれば、現状の「夢を語ろう!」みたいなノリの採用は絶対に辞めた方が良い。インターンかバイトからの採用を中心にして、とにかく𠮟りまくり、残った人を採用する方がいい。
HeyNaoto 2013-08-03 12:27:22
ワタミの初期が非常にうまく行っているのは、新卒採用ができなかったので、こういう採用をしていたからである。逆に今、マスコミに情報を売ったり、すぐ辞める人が多いのは、「夢を語ろう!」みたいなノリで「ポジティブ依存」の人を大量に採用しているからである。
HeyNaoto 2013-08-03 12:28:18
そして、管理者になる段階で、ネガティブ依存をポジティブ自立に変えるような教育をすればいい。これは面倒くさいが、最初の段階でポジティブ依存の人をいれて、𠮟りまくって潰すよりはよほど良いし、入って来た社員もネガティブだった自分がポジティブになりましたってなノリで喜ぶはずだ。
HeyNaoto 2013-08-03 12:29:48
みなさんも採用のときに、なんか暗い人と、すごく明るい人を比べて、後者を採用して大失敗したことがあるだろう。私もある。じつは前者を採用した方が、𠮟っても潰れないし、管理者にさせる時に、徹底的に教育すれば𠮟られて育った人は、簡単に元気があれば何でも出来るタイプに変わるので使いやすい。
HeyNaoto 2013-08-03 12:30:56
面接の時にすごく明るい人というのは、ちょっと𠮟っただけで潰れるし落ち込むし居なくなる。平気で裏切る。だから「叱る」のを中心とするカルチャーの会社では絶対採用してはならない。
HeyNaoto 2013-08-03 12:32:26
私の会社は昔はそういう会社でしたが、今はねばりづよく自信を持たせながらスタッフに仕事をしていただくので、どんな方でも、弊社の理念「すべての人々に成功への機会を提供する」に御共感いただける方なら大歓迎です。
HeyNaoto 2013-08-03 12:32:29
ここでいう、成功っていうのは、なりたい自分になることですね。結局人生の目的はそれしか無いと思う。
HeyNaoto 2013-08-03 12:33:40
スタッフそれぞれがなりたい自分になる、そのための環境を整備し、会社と一緒にスタッフに成長していただく流れを作るのが経営者の役割だと思う。だから、何があっても社長は雇った人の悪口だけは言ってはいけない。そんなこと、私でも分かっている事である。
HeyNaoto 2013-08-03 12:33:55
きっと、ワタミの渡邉美樹氏は「この子前向きでポジティブだと思ったのに、どうしてミスばっかりして、最後死んだんだろうな」と思っているだろう。でも、それはさっきの四類型を見れば明らかすぎるぐらい明らかなことなのだ。
HeyNaoto 2013-08-03 12:35:40
だから採用か従業員教育のどちらかを変えた方が良い。私は従業員教育の方を変えたけれども、渡邉美樹氏は多分変えられないと思うので、多分採用を変えた方が良い。
HeyNaoto 2013-08-03 12:36:05
ポジティブ自立な人なんて、だいたい今までの人生でちゃんと勉強するか遊んで外食や塾以外の儲かる産業に行くだろうし、逆にポジティブ依存の人はワタミみたいな夢を語る会社に行きやすい。分かりやすくいえばポジティブ依存な人は新興宗教の信者になる層である。
HeyNaoto 2013-08-03 12:37:19
逆にネガティブでばんばん会社の批判をする人は共産党か新聞社にでも就職してくれと思うし、ただネガティブで𠮟られて育ったみたいな人は、なぜか世間一般で高く評価されることはないけれど、叱るカルチャーのある会社では(採用面接でもあまり高く評価されないけど)出世するパターンを取る事が多い。
HeyNaoto 2013-08-03 12:38:23
そして、ネガティブで𠮟られて育ったみたいな人が𠮟られながら自信を付けて行って(体育会系とかでよくありますね)、ポジティブで自立したリーダーになった時は、本当に強いんだ。だから、そういう人をバイトかインターンから採用すればいい。採用面接の夢の作文とかで採用しちゃあかんぜよ。
HeyNaoto 2013-08-03 12:39:16
そして、ネガティブで𠮟られて育ったみたいな人が𠮟られながら自信を付けて行って(体育会系とかでよくありますね)、ポジティブで自立したリーダーになった時は、本当に強いんだ。だから、そういう人をバイトかインターンから採用すればいい。採用面接の夢の作文とかで採用しちゃあかんぜよ。