次は、自民党シリーズで「ワタミで一生懸命働いても、あまり給料が上がらない理由」について話をしようかなと。
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  ワタミがブラック企業だと言われて問題になっている。
 
これは麻生太郎氏の話とは違って、主に日本国内で問題になっていて、私の会社のスタッフも私の事を冗談で「教育業界のワタミ」とか「ワタミ二号」と陰口を叩いているし、そういえばこのあいだ講師に誘われた合コンでも「社畜です」と自己紹介した人がいた。 
 
ワタミがブラック企業かどうかは今報道されている事実だけでは分からないけれども、一つ言える事は、ワタミで一生懸命働いても、そんなに給料がどばっと上がる訳ではないということだろう。このことに関しては、ブラック企業疑惑が取りざたされている経営陣も認めるだろう。
 では、なぜ一生懸命働いても、給料が上がらないのか。多くの人は、渡邊氏が蓄財をしているとか、鬼畜なんだとか、ブラック経営者なんだというけれども、おそらくそれは違う。ワタミの営業利益率はせいぜい5%で、ほとんどボランティアみたいなものである。
 渡邊氏の資産のほとんどは、株式市場を通じて作られたものである。では、従業員がもっと一生懸命働けば給料が増えるのか。それも違う。彼らはおそらく限界ぎりぎりまでがんばって働いている。ワタミで出会ったスタッフの人たちは本当に熱心に働いている。
 ある時、T.G.I.Friday.というワタミ系列のレストランに言ったら、ランチの時間だったけど、ペプシコーラを飲み干すごとに、すぐ気付いて飛んで来て、お変わりいかがですか?と店員さんが訪ねて来て、それでおかわり代は一切請求されなかった。こんなレストランは他に無い。
 では、これは良く経営者がいう詭弁だけど、彼らがリスクを取っていないから給料が低いのか。それも違う。ワタミは相当コストを切り詰めても営業利益率は5%程度で決して高くはないし、そもそもリスクを取る事と、高い給料が得られることは=ではない。というか、ほとんど関係ない事が多い。
 では、なぜワタミの人たちは、どんなに一生懸命働いても、それほど給料がどばっと増えるわけではないのか。それは需要と供給で考えれば分かりやすい。ワタミで働こうと思えば働ける人たちは案外一杯いる。だから、給料がそれほど高くなくても、人を雇って、仕事を回せる。
 さらにいうと、今日の宴会を和民でやるか魚民でやるかは多くの人にとってそれほど重要な問題ではない。子供の一生の進路を決めるような切実な問題ではないので、自ずと価格競争が激化する。
 その点、ホストクラブや学習塾というのは、自分が誰を好きになるか、自分の子供の進路がどうなるかという切実な問題を扱うため、価格競争はあまり意味をなさない。価格での競争が起きない。だから、一生懸命働きさえすれば、ホストクラブや学習塾の経営者やスタッフというのは、必ず高給取りになる。
 この原理原則を学んだのは、私が仕送りなしで大学に行き、自分でスカイプによる家庭教師を立ち上げた時だ。最初、慶應生がやってるスカイプ家庭教師ってことでやれば地方の奴らは指導を受けに来たがるだろう。地方には(語弊はあるけれど)優秀な大学生は少ないから、ということで仕事を始めた。
 私は絶望的に甘かったし、傲慢だった。一ヶ月経って、生徒は一人しかこなかった。
 元来のコミュ障で、バイトはことごとく落ちており、一日一杯の牛丼しか食べれない日が続いた。そういえば、父親がやたら仕事をがんばる人だったので、収入が高く、奨学金も借りる事が出来なかった。
 あまりに腹が空いたので、牛丼と白飯を頼み、牛丼の牛肉半分を白飯によそり、牛丼二杯にして食べたのは良い思い出。この時私は、デブは、牛肉が半分しかないヘルシーな牛丼を二杯食べるのだということを学んだ。デブはダイエット飲料を二倍飲むというアレである。どうにか打開策を考えなければ。
 
そこで私が思いついたのは、不登校・ひきこもりの子の慶應受験に特化した塾だった。慶應といっても、SFCなら実質1教科の勉強で行ける。私自身、高校にまともに通ったのは三ヶ月程度で、他の時期はバスに乗っただけで泣き出したり、よく眠れないような生活をしていたので、彼らの気持ちは分かる。
 就職活動のことを考えると、本当は、本音でいうと、高校生のとき、自分が不登校でひきこもりなんて事は公開したくなかった。
 自分がもしそれを公開しない人生を歩めば、スマートで格好良い慶應ボーイで、そんでもって証券会社あたりに入り、きれいな窓口嬢の奥さんと結婚し、町田あたりで一軒家を買い、カローラに乗り、ゴルフに行くような生活をしていたと思う。私はそういう平凡なささやかな幸せのある人生を生きたかった。
 だが背に腹は代えられない。私は望んでいた平凡な生活を諦めて、ヒルズでベンツでモデルと合コンか、はたまた家賃3万円で銭湯暮らしかの二択しかないベンチャー起業家になった。
 その後、スカイプによる不登校・引きこもりの子向けの家庭教師は小成功をおさめ、国語偏差値40の子が早稲田の法学部にいったり、9年間不登校だった子が慶應SFCに入ったり、別の不登校だった子が慶應SFCに入ったりした。どんだけ不登校にやさしいんだ慶應SFCは。
 話が脱線したけれど、つまり私は、顧客ターゲット層を「不登校・引きこもり」でかつ「慶應に行きたい人」に絞り込みそこから高い単価で仕事を取る事で、高い利益率を実現し、自分の大学生活をどうにか立て直した。つまり、ものすごく切実な需要があるところに絞って、そこから高い収益を得た。
 人生において大切な事というと言い過ぎだけれども、自分が自分らしく、高い給料をもらいながら、幸せに生きる方法はこれしか無いと思う。つまり、自分が食物アレルギーなら食物アレルギーの人向けの店を作る。人間探せば一つぐらい弱味があるから、それを自分だけの強みに変えて、商売するのだ。
 こういう商売は、大きな初期投資が必要になる居酒屋や介護施設と違って、ある限られた層の人の、すごく切実な需要にフォーカスをするため、実はほとんど初期投資は掛からない。店舗がボロくても臭くても、アレルギーの人はアレルギーの人向けの店しか使わないし、引きこもり・不登校も同じだ。
 だから、こういう商売は初期投資がほとんど掛からない上に、儲かる。
 
 一方、居酒屋や介護施設、私がやっているような「24時間365日勉強の質問にすぐ答えるサービス」https://t.co/6LsrqiAdIaのようなターゲット顧客が広いビジネスは、競合も多く、顧客の目も厳しいので初期投資がかさむわりに、競合との価格競争に晒されるので、儲からない。
  では、なぜ渡邊氏が、そういう儲からないビジネスばかりやるかというと、それは広いターゲット顧客を相手とし、儲からないビジネスをすることで、自分の魂のレベルを鍛え上げるためだという。これはなんとなく、よくわかる考え方だと思う。
 
こういう渡邊氏の考えを詭弁だという人がいるけれども、私はそうは思わない。ホストクラブや学習塾のような利幅が高いビジネスは、やっているうちに、高い給料をもらう事が当たり前になり、人様からお金をいただくことのありがたさ、大変さ、尊さを忘れてしまい、他の商売が出来なくなる。
 だから申し訳ないけれど、塾業界や教育業界の人は、本当に社会常識を知らないというか、傲慢な方が多い。それが嫌で、私は月々3000円から使え、いますぐに勉強の質問に回答するサービスを1000万近く掛けて作った。
 切実な需要を掬いあげることで高収益を実現することと、大規模なターゲット層を狙って大きな売り上げを上げる事を両立できればと考えている。
 
ワタミを独立してワタミの元幹部だった方立ち上げた外食企業も、100店舗100業態を作るのではないかと思うぐらい、どんどん別業態を出しながら大きくなっている。こういうやり方で、その地域地域の切実な需要を掬い上げ、高い収益と高い売り上げを両立するケースがこれからは増えて行くだろう。
 高い給料を得るために必要なことは、一生懸命働く事でもなければ、ましてリスクを取る事でもない。需要はそこそこあるんだけど、供給がまったくない市場を狙いを定めて、むずかしいけれど必要とされていることだけに焦点を絞って、問題解決をやり切り、小さな売り上げと高い収益率を上げることだ。
 結局これからの時代は、それをやりきった企業だけが大企業になると思う。お金がある時は、家に送られてきた漫画で「通信教育をやれば部活も恋愛も勉強もうまく行く」と書いてあったから、手も付けない教材に三ヶ月で二万も払いましたという笑い話は十分に成り立つが、これからはそういう時代ではない。
 たとえば、自分の息子が不登校だった。そこで不登校の子向けの言葉が書いてあるtwitterのbotを見て、月3000円から何度でも相談に乗ってくれるサイトを見つけた。そこで自分の息子とぴったりの不登校経験がある先生を見つけて、息子が東大早稲田慶應に合格した。
 このぐらい切実な需要を満足させるサービスを作らないと、これからの厳しい経済情勢の中では、きっと生き残っていけないと思う。親戚中に借金してでも行きたいようなサービスを作らなければ、きっと生き残って行けないと思う。
 ワタミ的なるもの、それほど切実な需要ではない需要を掬い上げながら成長していく路線には限界があり、これからはきっと世界が変わる。
 そのとき、働く人々の待遇も飛躍的に良くなり、働く人々の心持ちも、まさに自分がやりたいことをやっているということで、ストレスもなく、一生懸命働くことができるようになるのではないかと私は思う。
 
 とはいえ、これはフォローだけれども、やはり渡邉美樹さんというのは優秀な経営者で、居酒屋という切実かどうかよくわからないふんわりとした需要を掬うマーケットから、介護や宅食のような切実な需要があるマーケットに軸をうつしている。これはしばらくは大成功するだろう。
  ただ、巨大なチェーン展開というのは、人々をあるべき姿ではなくチェーン本部に従属させる。こういうやり方は、もうそれほど長くないだろうと私は考えている。私は人々の選択の自由というのは、それだけの価値があるものだと踏んでいる。
 
人々が、高い報酬をもらいながら、心豊かにはたらいているためには、やはり市場の細分化・事業の専門特化がなによりも必要になる。きっと時代はそういう方向に向くと私は考えているし、その日を信じて、私は今日も仕事をしています。