当時の宮城県の入試では、国語の出題はわけがわからず、数学は半分を占める基礎問題以外はやたらむずかしく、英語は難しいことは難しいですが頑張れば取れそうで、社会・理科はすごく取りやすかった。そして、400/500点行くかいかないかぐらいで県内トップ100には入れた。
私が目指していた仙台第二高校は、ざっと320人は入れますから、内申・推薦を考えても、TOP100に潜り込めれば、どうにか入れるだろうという見立てを立てました。そこで、数学と国語は60点/100点、英語・理科・社会は90点/100点を取ろうと決めました。
そうすると、270+120で390点は取れます。さらに10点ほど上乗せすればTOP100に入れますし、そこまでしなくても合格するでしょう。確かに仙台二高は県内で偏差値が68か69ぐらいの難関でしたが、他にも難関高校はあるのでばらけるはずだから、TOP100に入れば合格は固い。
こういう風に闘わない部分を決めました。そうと決めたら、次は点数を取って行く作業です。まず一番最初にやったのは、過去問を解くこと。といっても、普通の公立高校で平均以下の成績なんですから、過去問なんて解ける訳がありません。
そこでとりあえずどのあたりが出て来るか傾向を分析し、試験と同じぐらいの難易度、特に試験の中でも簡単な出題のものと同じぐらいの難易度の参考書を買い込んで、一問も不正解が出ないように7周ぐらいやり込みました。参考書1周を1日とか2日で、すごい集中力で終わらせてました。
そんな感じで、中学三年生の10月ぐらいから真面目に勉強しはじめて、12月には確実に合格できるなという手応えを感じ始めました。3月に試験があり当たり前のように合格しました。周りの人はびっくりしていましたが、私からすればそれは想定内のことでした。こういうことはこの後もあります。
ただ、こういう戦略「闘わない場所を決める」というやり方で高校に合格したので、闘うべき場所でもそうでない場所でも真面目に努力してきた他の友達とは、入学後一気に差を付けられてしまうようになりました。特に、数学で大きな差を付けられ、テストを受ける度に100位ずつ下がりました。
入学した時は、狙った通り100番ぐらいで入ったのですが、次は200番、ここで踏みとどまれば良かったのですが、そこまで強くなくて次は280番、そして最後は313番。320人中です。頭痛がしました。
私は、中学の時、勉強ができなかったときは部活をしていました。長距離陸上です。女の子にモテた試しは生まれてこのかたあまりないですが、なにはともあれ、部活ができるから、勉強ができるから、恋愛ができるから、自分には価値があり、存在意義があるのだと思っていました。
高校に入って、相変わらず足は早かったのですが、ケガをして部活ができなくなって(というより先生から止められて)、勉強もできなくなって、もちろんそんな情けない有様ですから恋愛もできない。(してたけど、こういう仕事とか勉強がうまくいかないときの恋愛は本当に虚しくて悲しくて寂しい。)
つまり自分には何の価値もないのです。何の価値もない。部活も勉強も恋愛もできない。これは驚くべきことでした。なんてことだろう。どうしたことだろうと思いました。本当に何も出来ないんです。生きている価値がないなってつくづく思いました。困りました。死にたくなりました。
そんな時、一つの価値観に出会いました。その人は、カントの価値論だと言っていたけれど、本当にそんなものがあるのかはよくわかりません。もしかしたら高校生だった自分に権威付けして伝わるように少し工夫しただけなのかもしれません。とにかくそれはこういう考え方でした。
たとえば、いま冷静に考えてなんの価値もない人間がいたとして、はて将来その人に価値がないかどうかは分からない。いま価値がないように思える人間であっても、将来なにかの価値を生み出す存在の、その割引現在価値として生きているのかもしれない。
ならば、自分はその将来の自分が果たすかもしれない価値創造を信じて、そのための準備期間として今を生きよう。どんな不条理なことがあったとしても、かならずそれを乗り越えて、自分みたいな不遇な目に会う人を少なくするために、将来何か大きな価値創造をやらかすんだ。
そういうふうに考えて、苦しい高校時代をやり過ごすことにしました。このときの経験から、私は競争というのは決して人を幸せにしないと考えています。他人と競争すると、どうしても自分が努力するより、人を呪ったり、人の邪魔をする方が効率が良くなる。これはよくありません。
そうではなくて、自分が昨日の自分より強くあること。その繰り返しによってしか人は強くなれないのです。強くありたい。昨日の自分より強くありたい。弱い自分に対して強くありたい。そう思わない限り人は強くなれないでしょう。
あと、不登校で引きこもりで人と接しない生活をしていたことがある人はよくわかると思うのですが、人との接点がなくなると逆説的に本当に人の目が気になります。なんていえばいいのか、人との接触で傷つくことが少なくなると、人の一言に余計敏感になるのです。
誰からも評価されていない。蔑まれている。それは一つの真実だったんでしょう。不登校で引きこもりのニートが復活する為には学歴を手に入れるしかありませんでした。結局学歴が必要だと思ったのです。(ただ、これは認識の問題で、高校時代も私のことを良い友達だと思ってくれていた人はいたのかも。)
まぁ、とにかく学歴が必要。しかし学力がない。ということで、とにかく掛ける費用が最小で、得られる効果が最大の入試を探しに探しました。一つ見つけたのが一教科入試でした。これは慶應SFCなんかがやってる入試で、小論文を除けば、英語か数学だけで受験ができるというものです。
恥ずかしながら私もこの罠にどっぷりはまったタイプです。一教科入試とはいうのですが、たとえば英語の問題なら帰国子女が解けば解けるのかというと解けません。私の教え子でも留学経験がある子がかなり落ちています。小論文だって難しい。やり方はありますが大変です。
私はこの入試で合格しましたが、教え子さんにはお勧めしません。実際今日紹介する二人の教え子は、どちらも慶應の経済、早稲田の法などの早慶の一流学部を志望して、たまたまSFCにも合格を果たしただけの子です。
余談はこれぐらいにして、大学入試で必要な要素というのは三つあります。理屈の理解、暗記事項の暗唱、それらの勉強を徹底することです。これしかありません。この三つだけで合格できます。
理屈の理解というのは、たとえば仮定法過去はどうして過去の話じゃないのに過去というのかとか、そのたぐいの話です。こういうことはいつでも人に説明できるようにしておかないといけません。あと、暗記事項についてですが、ぱらぱら見るだけで覚えられる訳がない。暗唱です。
こういう方法論を聞いたことがある人は、百万人といる。しかし、その中で成功した人が千人にもみたないのもまた事実です。ここから先は何が重要かというと、徹底する力です。とにかく徹底すること。それが大切です。徹底しなければ何も見えてこないからです。自分で責任をもってやることが大事です。
あと、これもすごく大切な考え方なのですが、今日は何時間勉強したとか、そういう発想は辞めましょう。この発想は二つの点で間違っています。まず勉強時間は今日は何時間したかではなく、今日は何時間しなかったかではかるべきです。あと、勉強はそもそも時間じゃなくて量と質です。
量を徹底的にこなすこと、一つ一つの習得事項が他の習得事項と関連性を持ち、一気に習得できるように質を向上していくこと。こういう考え方がとても重要になってきます。
あと、受験でも仕事でもそうですが、やれることを列挙して、すべてやり切りましょう。時間的な制約もあるので、もちろん優先順位はあるのですが、これらを全部やってダメだったら何やってもダメだというぐらいのいいあきらめをもって、それらをやり切りましょう。
そうすればたとえ受験で失敗しても後悔がない人生を歩めるし、成功したらしたで自信を持って人生を歩むことができます。こんなに素晴らしい人生はありません。やれることを列挙すること、優先順位を付けること、優先順位を付ける時は単位時間あたりの負担が一番きついものから、すべてやり切るのです。
そんなことをして、私は大学に合格しました。受験を決意したのが3年生の12月5日。受験したのが2月20日。三ヶ月もない受験勉強。私はリンがメタリカという英文集を暗唱し、英頻1000の説明を暗唱し、京大経済と慶應全学部の小論文を20年分解きました。
友達を見返してやりたい、そう思ったからやったんです。だけど、なんていうか勝った後に残されたのは喜びでも悲しみでもなく虚しさだけでした。大学受験に勝ったことは所詮小さなことなのです。
実家も結構ごたごたしていた時期で、大学受験に合格したことを除けば、入学してからは何もかもがうまく行きませんでした。バイトにも落とされたし、仕送りがなかったのでお金もなかったし、教育ローンや奨学金を借りることも禁止されていたので、もうどうしようもなくお金がなかった。
だから、もちろん友達みたいにサークルにも入れなかったし、パソコンだって友達がMacを買っているときに、私は型落ちのwin98のなんか、アメリカのステーキみたいに分厚いパソコンを使ってたりしました。情けなかったし悲しかった。
またもや、自分はなにも世の中に価値を産んでいないなと思い始めました。自分に出来ることは何かと考え始めました。ふと実家を離れる時に、友達から言われたことを思い出しました。「大学に合格したら塾講師、落ちてたらホストにでもなるしかないんじゃない?」
たしかに、自分はモテとは無縁でしたが、わりかし異性が好きだったというか大好きだったというか、そういう厄介な性分でした。たしかに学習塾なら購買決定層は中高年女性なわけだし、悪くない仕事だと思いました。ホストはどうかわかりませんが、ともかく塾講師になろうと思いました。
ただ、そうはいっても、実際のところ学習塾のバイトにはことごとく落とされました。困ったことでした。なんていうか、学力がついて、大学に合格したのはいいのですが、社会とうまく折り合いが付けられないという困った性分は一向に改善しておりませんで、本当にこまりました。どうしようかと。
仕方がないので、似たような子を集めて、不登校・引きこもりから早稲田・慶應へということで学習塾をやろうと思い立ちました。後から考えてみればこの業界には、どうも社会とうまく折り合いが付けられない人が多いですが、そんな風にしてこの業界に入って来たのかもしれません。
一番最初の時期に入って来た生徒ですが、9年間不登校・引きこもりだった生徒がいました。つまるところ、小学三年生ぐらいから浪人生になった今に至るまでずっと不登校で引きこもりだったというわけです。
どうして私の塾に来たかというと、理由は極めて簡単で、私は家賃3万円のアパートで塾を開業したのですが、そんな場所に人を呼べる訳がありませんから、インターネットテレビ電話のスカイプで個別指導をしていました。普通の予備校には通えないけどネットなら。そんな子が後に大挙するのです。
とくに印象深かったのは、この9年間不登校の生徒です。このままじゃダメになるといいました。学力の方はなんというか、やる気のみ持参といった体で、ひどいものでした。be動詞からやり直したことを今でも思い出します。ただ、面談に来てからは一日16時間ぐらい勉強してました。
ただ、一日16時間勉強したところで、9年間不登校だった子がいきなり大学受験クラスの勉強ができるようになるという法はありません。なにか飛び道具が必要でした。一つは、やはり、丸暗記からの脱却でした。理屈を理解し、そこから芋づる式に習得事項をおさえることができれば合格は近づきます。
あと、時として制限時間を決めて考えさせることも重視しました。一日中考えるのは休むことに似ていますが、五分ぐらいであれば真剣に考えることには価値があります。なぜなら、深く考えることで、正答が頭に入りやすくなるからです。
しかし、これだけ力を尽くしても、やはり成績はなかなか伸びません。模試を見るとE判定です。そういう時は、「ここの英文読解Aの部分だけは合格者より取れてるから、英熟語の対策をして、長文ももっと早く読めるようにして他の部分も伸ばそう」といいました。
これが、一点突破&横展開戦略です。どんな理不尽で不遇な状況に置かれても、自信を付けて、前に進むことを辞めない。これがやはり大事です。こういう心構えで仕事ができなければ、理不尽や不遇をつくった人間が笑い、犠牲になった人間が負ける社会ができます。そうであってはならない。
どんなタイミングであれ、そこにはチャンスがあり、それを獲得することができるのです。負けたと思ってはいけない。もちろん、闘うにあたって力不足ということは一杯あるのですが、負けたと思っては行けない。いつか必ず勝ちを取りに行くんだという姿勢を保ち続けることが大事です。
あと、ライバルにアドバンテージがない教科を最初に仕上げるというのも大事です、たとえば高校入学時から本格的に取り込む古文・漢文や、多くの受験生が苦手とする小説文・論説文、あとは受験直前に対策する人が多い小論文なんかもこういう教科です。
たとえば、小論文であれば、問題意識・原因分析・解決策を書き、それらに関連する修飾をしっかりと書き込めれば、他の受験生と圧倒的な差を付けることができます。そういうふうに、一つ一つの教科で勝ちパターンを決めて行くことが大事です。
こうしてライバルとアドバンテージがない教科を仕上げて、自信を付けることができたら、次は嫌いな教科を好きにならないといけないのです。では、「好き」や「嫌い」という感情がどこから生まれているのかを考える必要があります。
人はなぜ好き嫌いがあるのでしょうか。一つの仮説としてですが、人の好き嫌いというのは、ある対象に対する情報量次第だと私は考えています。たとえば、ピーマンが嫌いな子供は多いですが、ピーマンはある方法でいためると非常に甘くおいしくなる。それを知っていれば好きになれるでしょう。
だから、たとえばこの生徒さんは、そもそも英語の長文を読むのが苦手だったわけですが、そういう生徒さんであれば、たとえばバイクが好きだったら、バイクの雑誌を読ませる。そういう一つ一つの工夫がとても大事です。結局は情報量を増やすしかない。
これは勉強だ、これは恋愛だ、と意識して何かをするというのは良くないと思います。熱中しているとき、もっといえば結果が出る時というのは、これは勉強だとか、これは恋愛だとか、そんなことを一々意識してやってはいません。熱中すること。夢中になること。後ろを見ないことだけが成功の秘訣です。
あと、英文解釈なんかに代表されるように、やたら難しく考える人が多い分野もあります。たとえば100の技術とか、数百例文とかあるけれど、本来的にはそんなものは必要ない訳です。前、真ん中、後ろ、並列。これだけでいい。習得事項が多いことは良いことではありません。
英文解釈の修飾は、前か真ん中か後ろか並列にしかありません。だから、それだけおさえていればしっかり解釈できる。ここまではできる。でも英文読解ができない。読んだそばから記憶が飛んで行く。そんな人もいます。
そんな人にまずお勧めするのは、段落ごとにメモを取ること。あと、どこが問題意識で、どこが原因分析で、どこが解決策かを意識すること。抽象論と具体論の違いが分かるだけでも、桁違いに正答率が上がります。
ここまでが彼が受けようとしていた慶應経済と慶應SFCあたりでは大事な話ですが、目標設定全般でいえば、たとえば短期目標は現実的に立案すること、長期目標は今野延長線上にはない夢を持つこと、時間の単位を細かく、たとえば一時間、一分単位でそれぞれに夢を持ち達成することが大事です。
あと、こんなふうな自己啓発的な話をして、いざやる気が出ても、やはり萎える時・疲れる時というのはある。いわゆるスランプ。これをどう乗り越えるかというと、低速でも走ることをやめないこと。単純作業のための時間を取ること。集中力なんてどうでもいいから、持続力を付けること。
あと、小さな成功が出来たら、思い切り自分を褒めて調子にのること。そういうふうにしていれば、もともと落ち込みがちな生徒でも明るくなれます。一人ではそれはできないから、やはり個別指導する先生がそういうふうな方向性を作ってあげないといけない。
こんな感じで、この九年間不登校だった生徒は慶應に合格してくれました。とはいえ、見返してやりたいという気持ちで合格しても、その先に続く目標はない。マイナスの感情というのは、一時的には大きな結果をもたらすことはあっても、その後の方向性を見失わせてしまう。
だから、やっぱし人生は大きな目的をもって、その下に目標があって、そういうふうに計画は立案しないといけないと思います。まだまだ、がんばらないと。
- もう一人今日は紹介しようかな。11月ぐらいに来て、3ヶ月ちょっとで早稲田の法学部に合格した子の話。
- CheNaoto 2013-09-09 00:57:07
- そもそも、特に早稲田の法学部なんかそうだけど、日本の受験勉強では覚えなければならないと(されていること)が多すぎる。英単語5000個、数学の例題2000個、古文の文法書200枚。もちろんコツコツ勉強してた人なら習得できる範囲だけど、こんなもの、記憶の緩急も付けずにやって何になる?
- CheNaoto 2013-09-09 00:59:30
- 覚えなきゃ行けないことはなるべく少なくしないといけない。たとえば英語なら暗唱例文50枚、数学なら教科書やって、受験で必要な考え方を10個ぐらいやって、あとは過去問。古文の文法プリントは見開き3枚。ただ、これらを何十回もやる。それだけ。
- CheNaoto 2013-09-09 01:00:28
- こういう話を、この3ヶ月で早稲田法学部に合格した生徒にしたら、やはり!していたようで。ただ、これって本当に当たり前なんだけど、なかなか浸透していない認識なんだよなと思う。そもそも、文法書全部覚えられないからうちの塾に来る訳で、それをどうこうする法はない。
- CheNaoto 2013-09-09 01:02:36
- あと、これは学校教育とかもいけないと思うんだけど、細かい部分を自慢しないというのはすごく大事。学校の先生とか、わかりやすくする努力を怠った上で、こんなに細かいところ予備校ではやらないのよーっていって、細かいところを自慢するけど、細かいところは入試で出ない。意味ない。
- CheNaoto 2013-09-09 01:03:36
- 大切なのは、みんなが出来る部分を落とさないこと。合格点をとれればいいやという割り切り。これがすごく大切。点数配分を見て、取れる教科と取れない教科を見極めて、闘わない場所決める。闘う場所を決める。これが凄く大事。受験は実行よりも、この計画に労力を割くべきだとさえ思う。
- CheNaoto 2013-09-09 01:04:47
- 才能と努力の話がある。受験で失敗する人は、地頭とか才能の話を好む。ただ、たかが大学受験程度では、もちろん才能で合格する人もいるけど、ことただ合格することに関してだけいえば、才能はほとんど関係ない。
- CheNaoto 2013-09-09 01:05:36
- よく現代文はセンスとか小論文はセンスとか数学はセンスだと言う人がいる。私はそうは思わない。センスをどれだけ努力に落とし込めるかが大事。努力に落としこむというのは、たくさんある事例をパターン化していくということ。結局これがすべてだと思う。
- CheNaoto 2013-09-09 01:06:28
- 理屈を理解していくというのは、いろいろな事例を一つのパターンにすること。パターン化すること。暗記暗唱をするというのは、一つのパターンを、自分の血や肉にすること。あなたの性格がどっちなのかをハッキリと知らなければならない。
- CheNaoto 2013-09-09 01:07:23
- その上で、覚えることを極力少なくするパターン化と、反復回数を極力多くする肉体化をしっかりやっていけば、かならず短期間で圧倒的な成果が出る。あと、もう一つ大事なのは時間の単位を細かく区切ることだ。月単位で考えて来たものを、週単位、日単位にする。これが大事だ。
- CheNaoto 2013-09-09 01:08:23
- あと、過去問をやって、重複部分が多い参考書を買うのも大事。過去問はやる時よりも、分析に時間を掛けてもいいぐらいだ。早稲田なんかだとこれがとても大切になる。
- CheNaoto 2013-09-09 01:10:16
- あと、こういう知識を整理して、暗記量少なく反復多くする形の勉強がどうも苦手な人は、いっそのこと、内申点入試、つまり推薦入試を狙っても良い。いま半分ぐらいは推薦入試だ。これはもう性格の違いなので、適宜どちらか好きな方を決めてほしい。
- CheNaoto 2013-09-09 01:11:09
- 多くの人に地頭はない。残念ながら。そして、長時間努力できるのも一つの才能であり体力、素質だという指摘もわからなくはない。でも、覚えることを極力少なくする、短い時間でなるべく反復できるようにするというような工夫は誰にでもできる。だからその工夫を身につけてほしい。
- CheNaoto 2013-09-09 01:12:10
- 夏休みが終わって、ああうまくいかなかったなという人もいるかもしれないけれど、これを読み直してがんばってほしい。今日はとりあえず以上です。
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