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1-2-2.【小論文の授業】

 授業に意味がない理由

▽ 小論文の授業とは?

 小論文の授業には、二つの種類があります。

① 型を倣う授業

 これは、たとえば多くの学校では、「文章の構成は起承転結が基本です」などという形で習うものです。

 起承転結。

 なんてことなしに、まるであたまの悪い呪文のように使われている言葉です。

 起承転結。

 もう一度、この言葉について深く考えてみましょう。

 まず、起とはなんでしょうか?

 これは、書き出しのことでしょう。おそらく。しかし、書き出しをなんの引き金もなしに、いきなり思いつくものでしょうか? 文章を書く上で、もっとも大変なのは最初の一行を書くことです。賛否表明を書くにせよ、課題文の要約を書くにせよ、最初の一行で採点者の印象ががらりと変わることを考えると、ここはないがしろにはできません。

 しかし、こんなことは学校でも予備校でも教えてくれません。もし、書き出しが思いつかなければ、センスがないねで切り捨てられる世界です。しかし、考えても見てください。慶應の全学部の試験、早慶の自己推薦入試、国公立の後期試験。これらすべてにおいて小論文試験は課されています。

 ですから、小論文試験はセンスの良し悪しで決まるものではなく、本来誰しもが努力すればちゃんと書ける、そして合格できるものでなければおかしいのです。そもそも、入試問題というのは、機会の公平性を担保されていなければならないもの、噛み砕いて言えば、正しい方法論で努力すれば誰でも解けるようにできているのですから。

 ですから、起についても、誰でも書ける方法があるはずです。

 これは後述するとして、では次、承について考えて見ましょう。

 このあいだ、「ノルウェイの森」の上下巻を読んでいたら、上下巻のあいだに承前・承後と言う言葉がありましたが、まさしくこの承というのは、前提となる背景知識のことです。

 しかし、考えても見てください。

 普通の高校生が、何百字・何千字の小論文を書くに足りる背景知識を持っているものでしょうか? もし、そんな高校生がいたら、はっきり言って気持ち悪いとさえ思います。

 こうした教養についても、文章を書くに足りるだけのものがなければ、学校や予備校の先生は、センスがないからといって、生徒を小論文入試から遠ざけ、もっといえば慶應義塾のような首都圏の難関私大入試から遠ざけさせ、地元の国公立に押し込めようとします。

 この手の講師は多くの場合地方の中途半端な国公立大学の出身であるため、自分の願望(首都圏の難関私大は地元の国公立に及ばない)を現実と履き違えて、生徒に押し付けます。本当に吐き気がするぐらいいやな教師です。そもそも、現実や自らのありのままの姿を客観的に見ることに何の役にも立たない教育など、ほとんど価値はありません。ほとんど価値のない高校教員や予備校の教員が多い理由は、ここのところを良く分かっていない頭の不自由な教育者があまりにも多すぎるからです。

 もっといえば、こうした講師のやっかいなところは、首都圏の難関私大は地元の国公立に及ばないと、生徒を洗脳してかかるところです。これは真っ赤なウソです。たとえば、私がいる慶應SFCからは毎年初任給40万を超える外資系企業へ就職する方がたくさんいますが、一方で東北大の文系学部の学生のほとんどは(こと文学部や教育学部に関していえば)パチンコ屋に就職する人も多い現状があります。べつにパチンコ屋が悪いとはいいませんが、就職のことも考えるならば、事情が許すならば、都会の大学を目指すべきだと私は考えています。

 ですから、私は誰でも小論文を書くのに十分な背景知識を習得できるプランを用意しました。後述しておりますので、見ていただければ幸いです。

 また、転に関しても考えて見ましょう。

 これは、おそらく小論文の論理の展開がめまぐるしい部分を指すのだと思われます。樋口式の参考書でいえば、たしかに~しかし~の部分です。

 しかし、たしかに~という前提条件の部分が、課題文と食い違う失敗や、しから~といって提示したものが、前提条件とまったく関係ない話題であるという失敗が、実際の受験生にはあまりにも多いように感じます。

 また、これも詳しく後述しますが、そもそも樋口氏の代表的な著作「読むだけ小論文」にあるような、小論文の模範文例を丸暗記して試験に臨むようになあり方は、本来の小論文入試の目的にもそぐいませんし、作業量があまりにも多く、とても非効率なのではないかと私は考えます。

 最後に、結論部分にあたる、結に関してですが、この部分に関しての書き方を納得できるように教えてくれた先生は、いまだこの自分以外には誰もいません。いろいろな人に聞いてみたけれども、誰一人として答えられる人はいなかった。

 こんなあやふやな、カリキュラムもシステムもへったくれもないような状況で運用されているのが、日本の小論文教育の現状です。

 私なりに、センスを必要としない方法論を見つけたので、これも後述しておきます。七月から受験勉強をはじめた不登校の教え子が、このやり方で全国一ケタ台の順位を慶大プレで獲得したなど、実績のあるやり方ですので、きっと参考になるはずです。

 それでもまだ、腑に落ちない、小論文を書いてはみたけれども書き方がよくわからない人は遠慮なさらずに受験相談(yourmanifestojp@gmail.comまで!)していただいて結構です。

 

② 背景知識をつける授業

 背景知識の習得について、私はこのように前述しました。

『これは、リンガメタリカとアカデミックの計六冊を半年で暗誦することで、英語の勉強と両立させつつ習得します。時間がなければ、リンガメタリカ一冊を一ヶ月で暗誦するのでもかまいませんし、リンガメタリカの文系部分を二週間で暗誦するのでもかまいません。』

 たしかに、リンガメタリカやアカデミックは、たしかに古典的な教養の習得には向いています。京都大学やSFCを除いた慶應、国公立大や教育大・医学部の小論文であればこのような内容で十分すぎるぐらいでしょう。それこそ、教育大や看護系の学校の場合には、樋口式だけで十分な場合もあります。

 しかし、SFCの場合には、最近の時事を反映した問題が出てくることがあります。(マニュフェストやツイッターについての出題など)

 また、早慶の他の学部の自己推薦・指定校推薦の入試においても、カンサンジュンの『悩む力』が出題されるなど、近年は話題の本からの出題をいとわない傾向が見られます。

 そういった出題に対応するためには、鮮度のよい情報を仕入れる必要があります。いくつか良いサイトを後述しておきましたので、参考になさってください。

 また、背景知識の仕入れ方については、志望校別にいろいろなクセもありますが、紙面の都合上、すべてを解説することはできませんので、お悩みなどがあれば私まで受験相談(yourmanifestojp@gmail.comまで!)していただければ幸いです。

▽ もっと単純作業におとし込む

 私は、起承転結という、いままでの小論文教育にありがちな方法論に強い疑問を感じています。なにが悪いのか? どうやって解決するのか? どうやってその解決策を人々に納得してもらうのか? 小論文に必要なのは、この問題発見・問題解決・解決策浸透手段の三つしかないと考えているからです。

 それを起承転結のような、ろくに書くための方法論も提示しない、そんなあいまい極まりないやり方でごまかしてしまう従来の小論文教育に私は強い憤りを感じてきました。そこで、以下のような書き方を教え子たちに指導してきました。

 七月から受験勉強をはじめた不登校の教え子が、このやり方で全国一ケタ台の順位を慶大プレで獲得したなど、実績のあるやり方ですので、きっと参考になるはずです。

一、序≒要約

 逆接・否定・対比・不等号・例示に記号を振り、その記号が多い部分から要約を書き始めます。

 このやり方が目標とするところは、文章をありのままに読むことを教え子に徹底させることです。

 とかく、多くの小論文初学者(というよりも受験生!)は自分が読みたいように、自分に都合のいいように文章を、というよりもあらゆる物事を解釈します。和田秀樹の本が、なぜ多くの受験生にとって、たいていの場合毒にしかならないかということを考えたときにも、このことはよくわかるはずです。多くの受験生は、自分にとって都合のいい部分しか読まず、都合の悪い部分・意味の良く分からない部分をすっとばす。国語辞典を引くこともなくすっとばす。

 そのために、課題文の意味するところについて、大きな誤解をしていることがままあるのです。

 余談ですが、私は前述したように受験英語に関しては、英和辞典を引くことにはほとんど意味がなく、基本的に単語帳に書いてある英単語を習得することで間に合わせるべきだという考えを持っています。

 しかし、こと日本語に関しては分からない単語があれば国語辞典を引いたほうがいいという立場です。それは、小論文・現代文の課題文が、英文読解で出てくる文章よりも極めて難解な文章が出題されることが多いためです。

 このような現象が起きる理由は、大きく分けて二つあります。

 まず第一には、日本語という言語そのものの読みにくさです。

 特に早稲田大学の現代文などは、逆茂木文といわれるような、どのように修飾語句がかかっているのかすら分からなくなるような複雑な文章が出題されます。難解に書けば書くほど、理解してくれる人が少なければ少ないほど、自分の頭が良いのだと考えるのが日本の知識人というものなのです。特に早稲田を出た学者に多いのですが、到底日本語とは思えないような粗末な文章を平気で世に出す人が散見されるのは極めて残念なことです。どうでもいいことですが。

 また、主語や目的語が省略されがちなのも、日本語の文章が読みにくい原因の一つでしょう。

 もう一つには、日本語は多くの受験生にとっては母国語であるし、受験問題を作る教授の先生方が若い頃に読んでいた程度の文章なら問題なかろうという、出題側の大きな誤解があります。

 そもそも、出題側の教授にしても、そうした難しい文章の字面をただ追ってみただけで、実際に若い頃から完璧に理解していたというわけではなさそうなのですが、とかく難しい文章を出したがる教授というのは、特に早稲田あたりだと多いようです。難関の国公立大の一部でも見られる傾向です。

 こうしたことを考えたときに、早稲田や難関国公立大学を受けずに、いっそ受験校を慶應だけに絞るという選択肢も、在校生の私としては多いに歓迎すべきものなのです。しかし、慶應の学者は、難しい言葉や逆茂木文を書かない代わりに、助詞以外のすべての日本語を外来語にする傾向があります。こんなことをされては、元も子もありません。

 たとえば、慶應の教授のAO面接のときの発言の様子は、前述の文章だったらこのように変換されるのではないかと訝ってしまうようなものです。とくにこの傾向はSFCに顕著です。

『そもそも、出題サイドのプロフェッサーにしても、そうした難しいセンテンスのフェイスをただ追ってみただけで、実際にヤングなタイムから完璧に理解していたというわけではなさそうなのですが、とかくディッフィカルトなセンテンスをテイクアウトしたフィールするプロフェッサーというのは、特に早稲田あたりだとメニーなようです。難関の国公立大の一部でも見られる傾向です。

 こうしたことをシンクアバウトしたときに、早稲田や難関国公立ユニヴァーシティーを受けずに、いっそ慶應だけにプレスするという選択肢も、在校生のマイセルフとしてはメニーにウェルカムすべきものなのですが、しかし、慶應の学者は、ディッフィカルトなワードや逆茂木フィギュアを書かない代わりに、助詞以外のすべての日本語を外来ランゲージにする傾向があります。サッチことをされては、ファンデーションもチャイルドもありません。』

 どうでしょうか? うんざりするようなルー語変換でしょう?

 このような文章でもちゃんと意味を理解するには、センスなどというあいまいなものに頼るのではなく、ましてセンスがないと先生から言われたからといってあきらめることもなく、逆接・否定・対比・不等号・例示に記号を振り、その記号が多い部分から箇条書き要約を書き始め、それを最終的に小論文にまとめていく作業を地道にやることです。国語辞典を引くことも大切です。

 辞典を引くことが面倒であれば、現代用語の基礎知識やMD小論文などをまとめて読んでしまってもいいかもしれません。一読しておけば、課題文の語彙の難しさに困難を感じることはほとんどなくなりますから。

 しかし、これも目指す大学や、問題文のクセなどによって、やり方が変わってきます。板野式現代文などの記号を振る系統の参考書を参考にしながら、分からないことがあれば、いつでも私まで受験相談(yourmanifestojp@gmail.comまで!)していただければ幸いです。


二、破≒自説の展開

 問題の分解、問題の設定、なぜなぜ分析、利害関係者検討、多方面検討、などを用いて自説を展開します。

 破≒自説の展開といったところで、そもそも、自説とはどのようにして用意するものであるのかは多くの受験生にとって謎が多い部分です。

 「読むだけ小論文」で有名な樋口先生は、これに対してすばらしい解答を用意してくださっています。いわく「自説など無くてもよい。私の本を読んで、その考え方を丸暗記すればよい」これは確かにすばらしい考え方です()

 樋口先生の本が売れに売れて、困ったことが二つ起こりました。ひとつずつ紹介していきましょう。

 まず、第一には受験生の書く小論文がどれも似たり寄ったりになったということです。私は、教え子の小論文を添削していて、一発で樋口先生の本を読んだことがあるか、東進に通ったことがあるかが分かります。なぜなら、彼らはまったく同じことを書くからです。

 これは、面白いことです。樋口先生の教え子が少なかった時代にはこうしたやり方には極めて効果があったのでしょう。しかし、受講生が増えたおかげでというかなんというか、似たような小論文を書く生徒があまりに増えすぎました。

 第二に、結果として、多くの難関大学では、樋口先生の「読むだけ小論文」に取り上げられているような話題については取り上げなくなりました。

 考えてもみれば当然のことですが、もはや、自説は自分で用意しなければいけない時代になったのです。

 私は、自説を自分で用意する上ででもっとも効果を発揮するのは、なぜなぜ分析であると考えています。なぜなぜ分析とは、課題文に逆接・否定・対比・例示・不等号の記号を振った後、一番記号が集中している部分≒一番重要な部分の周辺から、課題文が設定している最も大きな解決すべき問題を見つけ、その問題がなぜ起きたのか? ということについて、ひたすらなぜなぜ?と質問を繰り出し、その答えを課題文中から探すというものです。

 では、ここで自説を展開する際にすべきことについてもう一度考えてみましょう。

① 問題の設定

 課題文に逆接・否定・対比・例示・不等号の記号を振った後、一番記号が集中している部分≒一番重要な部分の周辺から、課題文が設定している最も大きな解決すべき問題を見つけます。

② 問題の分解

 ロジックツリーというのは、大きな問題を小さな問題ごとに分けて、その中で一番解決しやすく、あるいは一番重要なものについて、①のなぜなぜ分析を適用して解決していくものです。

 これは、なにかしら否定の語句が出てきたときに使えます。否定の語句が出てきたときには、ロジックツリーを書いてみて、そこに大きな問題を載せてみます。そして、そこから文章中ではどのようにして問題が分解されていくのかをチェックしてみるのです。

③ なぜなぜ分析

 ①と②で見つけ出した問題がなぜ起きたのか? をなぜ? なぜ? という質問の繰り返しで見つけだし、もうこれ以上考えられないというところまで質問を繰り返します。その段になれば、問題の原因が突き止められるため、おのずと解決策が浮かんでくるというものです。

④ 利害関係者検討

 しかし、解決策というのは、リアリスティックでなければなりません。本当にその解決策が現実的なのかを考える上で大切なのは、その解決策に関わる人全員が得する解決策なのか、あるいは全員が平等に損をする解決策なのか、少なくとこのどちらかでなければ、②からやり直しましょう。

⑤ 多方面検討

 いままで、リンガメタリカやアカデミック、後述のさまざまなサイトから仕入れた背景知識を用いて、その解決策が実際に正しいかを考えましょう。

三、急≒説得

 最後に、自分の意見が正しいということを、背理法、前提条件確認、定義確認などを用いて証明し、読み手を説得し、納得させます。

 なぜなら、問題の解決策を考えても、その解決策を読み手に納得してもらわなければ、高得点はおぼつかないからです。

 自分や教え子の経験からも、背理法を用いて、自説を受け入れさせるのが一番かと思います。

 背理法というのは、数学の証明につかう方法の一つですが、自分と逆の結論きが正しいと仮定したときに、行き詰る。であるからにして、自分の結論は正しいとする証明方法のことです。

 ほかにも、大きな問題に関連する重要な用語の【定義】を確認しなおすことで、自分と相反する主張がほとほと的外れであることがわかることもあります。

  また、自分の主張と自分と相反する主張が持つ共通の前提を確認することで、実は自分の主張と自分と相反する主張がそれほど決定的に対立するものではないことが明らかになることも多いのです。この場合は結果として、相手の意見の良い部分は取り入れることができるようになります。こうして、読み手をより深く納得させることが出来るのです。

 しかし、これも目指す大学や、問題文のクセなどによって、やり方が変わってきます。板野式現代文などの記号を振る系統の参考書を参考にしながら、分からないことがあれば、いつでも私まで受験相談(yourmanifestojp@gmail.comまで!)していただければ幸いです。また、小論文については、京大・慶大・早大でしたら過去問の解説が二十年分ほど、模範解答と音声講義データーを私が持っておりますので、受験相談(yourmanifestojp@gmail.comまで!)をしていただければ、そちらもお譲りいたします。

 

 内田樹先生のサイト

よい小論文執筆の参考に。

http://blog.tatsuru.com/


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